朝鮮戦争勃発する以前に、北朝鮮の共産ゲリラは、朝鮮半島の南部の麗水(ヨス)・順天(スンチョン)にて、装備と警備が脆弱である警察署を狙って襲撃した。警察官の犠牲者も甚大となった。1948年10月19日に麗水・順天事件において、共産ゲリラは多数の警察官を虐待と虐殺した。その死体が野原や田んぼに散乱した。
1948年8月15日に大韓民国建国直後に、北朝鮮の共産ゲリラを、大韓民国の各地に侵入させて、反乱や騒動を狙った。10月15日に済州島で勃発した四・三事件の反乱を大韓民国は10月27日に鎮圧した。反乱した部隊は、北部の山中でゲリラ抵抗を継続した。
麗水・順天事件は、1948年10月19日に、韓国全羅南道麗水郡で起こった約2,000人が強制的に軍隊叛乱と民間人殺害が勃発した。反乱軍がまず麗水にて、警察署や役場などを占拠した。警察官、韓国党員、右翼団員を掃討しては射殺した。反乱軍は。警察官を約100人と韓国派の市民を約500人を殺害した。10月20日には反乱軍は順天を占領した。10月21日に、大韓民国は、麗水・順天に戒厳令を発令した。10月23日に、大韓民国の正規軍により順天地域を鎮圧した。麗水のゲリラの反乱部隊を侵攻した。10月25日に麗水の反乱軍の約200人と市民約1,000人は圧倒されて鎮圧された。同調した容疑者の市民は無差別に殺害されて攻撃で地域は血の海となった。複雑な山中に逃げ込んだゲリラは朝鮮戦争後まで潜伏した。
麗水・順天事件の約1週間の動乱による死者は約2,976名、行方不明は約887人、負傷者は約1407名に達して、事件の首謀者と幹部約152名が軍法会議で死刑となった。大韓民国は反共政策わ強化して、共産ゲリラを排除するために、韓国軍内から共産系要人や容疑者など約4,700人を粛清した。1948年12月1日に国家保安法が制定され、大韓民国から約5万人以上も避難して在日韓国人として難民化した。