2018年6月3日日曜日

ハイチ軍兵士達は、暗黒の独裁政権を排除する選挙の投票所で、虐殺された市民たちを検視した。

ハイチ軍兵士達は、ハイチの首都であるポートープランスの投票所で、虐殺された14人の市民のうちの2人を1987年11月29日に検視した。ナミフィー暫定政権は無力であり、デュヴァリエ独裁政権を排除する1987年11月選挙の有権者を、マルコス特殊部隊が虐殺した。1988年1月の選挙でレザイレ・マニガット政権が選出された。
 アメリカ軍は1915年にフランスから独立を口実にハイチを占領して、世界恐慌から1934年に撤退した。1946年のクーデターでデュマルセ・エスティメが黒人大統領となった。ムラートと黒人の国内混乱を招き、1950年の軍事クーデターで、ポール・マグロワール政権が1957年まで軍事独裁した。9月の総選挙で黒人多数派のフランソワ・デュヴァリエが大統領に就任して、1958年から国家を私物化し個人崇拝させて、独裁体制を構築した。秘密警察トントン・マクートを創設して、多くの国民を逮捕・拷問・殺害した。1971年に父親は死亡し、1986年まで息子19歳のジャン=クロード・デュヴァリエが1986年まで引き継いだ。デュヴァリエ父子主導で、トントン・マクート秘密警察の暗黒時代が続いた。