2018年6月14日木曜日

ピノチェト軍事政権下のチリ私服警察官が、アジェンデ派による反体制グループを首都サンティアゴで尋問して虐殺した。

チリ・軍事クーデターが1973年9月11日に勃発した。クーデターの首謀者であったピノチェト将軍が大統領に就任し、チリは軍事独裁下に置かれた。南アフリカで初めて1970年の自由選挙で、社会主義のアジェンデ政権が成立していた。共産主義化を憂えたアメリカ政府は軍事クーデターを支援した。軍事クーデターで、アジェンデは逮捕され死亡した。約16年にわたる軍事独裁政権下、約数千人から数万人以上もの軍事独裁の反体制派の市民らが投獄して処刑されて、虐待や虐殺された。チリ私服警察官が、アジェンデ派による反体制グループを首都サンティアゴで尋問して虐殺した。その当日に即時に、数千人に及ぶチリ市民が虐殺され、行方不明となった。完全にピノチェト軍事政権下を強固にして、チリの軍事政権下では民主改革は頓挫した。隠蔽により市民の虐待と虐殺の検証は困難となっている。ピノチェトによる軍事政権の後見人であったアメリカは、1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終えて1990年3月まで軍事政権による人権侵害を黙認し続けた。