2018年6月21日木曜日

マルコス政府軍は権力を掌握して鎮圧するため反対派のフクバラハップの4人を虐殺した。

フィリピンは1946年にアメリカから独立をした。1940年代末から50年代に、中部ルソンで1942年に結成された抗日ゲリラ軍であったフクバラハップ(Hukbalahap)が反乱した。フクバラハップは農民を取り込み、共産主義勢力を拡大して、国内は不安定となった。フェルディナンド・マルコスはフィリピン大統領に1965年に初当選し、69年には再選された。戒厳令を発布して強引に3選の新憲法を制定して74年に3選を果たした。マルコス独裁政権は、反対派を沈黙させ権力を掌握するために、政府軍がフクバラハップの4人を小戦して虐殺した。ベトナム戦争中のアメリカも巧妙に利用し、基地提供等から体制を固めた。政権の長期化で腐敗と貧困が進行するも、マルコス夫妻はマラカニアン宮殿で豪華な生活を謳歌した。マルコスは1971年に学生の反マルコスデモの戒厳令からベニグモ・アキノを逮捕し裁判で死刑を宣告した。国際世論からアメリカ出国を認めた。1970年代には北部では共産党系の新人民軍の反政府活動、南部のミンダナオ島でイスラム教徒のモロ民族解放戦線の分離独立活動が激化した。1983年にアキノは帰国したマニラ国際空港で暗殺された。一気にマルコス体制への反発が強まり、1986年に未亡人のコラソン・アキノが大統領に当選して、ピープルパワー革命が勃発して、マルコス夫妻はハワイに亡命して独裁体制は崩壊して、マルコスは1989年亡命先のハワイで死亡した。