1967年には韓国軍は、ベトナムの中央海岸付近の荒野に駐屯していた。韓国軍は、ビンジン省の北ベトナム軍を掃討して、多数のベトナム人の死体が散乱していた。韓国軍は軍服の北ベトナム軍だけでなく、無差別に民間ベトナム人も虐殺した。黒服を着たベトナム人の死体が荒野に散乱していた。周辺には人体の破片が飛び散り、至るところに血痕が付着していた。韓国軍による残酷な拷問や虐待かせら虐殺により、北ベトナム軍とベトコンを弾圧して恐怖に陥れた。
韓国軍の民間ベトナム人の虐殺事件は、1999年5月6日の「ハンギョレ21」に掲載された。1968年2月12日に、韓国軍兵士がベトナム中部クアンナム省のフォンニィ・フォンニャット村で、民間ベトナム人の約79人を虐殺した。その他ゴダイ虐殺約38人、ハミ虐殺約135人など多くの村々で住民の虐待と虐殺を繰り返した。韓国軍の中央情報部が、虐殺事件の幹部を尋問した。韓国の最高裁判所は、2021年3月25日に尋問の歴史的情報公開を韓国の国家情報院に命じた。ベトナム戦争時に、2020年4月にベトナム戦争で民間ベトナム人の虐殺に対して国家賠償が提訴された。韓国軍がベトナムで執行した民間ベトナム人の虐殺事件は約80件以上、犠牲者のベトナム人は約9000人を超えると推定される。特に青龍(チョンリョン)と猛虎(メンホ)部隊は、残酷な虐殺軍団の“鬼畜部隊”と呼称された。さらに、韓国人兵士によるベトナム人女性に対する性的暴行により産まれた約3,000人以上の子供はライダハンとベトナム語の読みとなった。タイヴィン虐殺1200人、ベトナム戦争後のベトナム社会主義共和国は、経済発展の国益を優先して、公開しても何の得にならない戦争の歴史を封鎖している。
1964年8月から韓国人部隊がベトナムに出向された。1965年1月26日に韓国の国会でベトナムへの韓国軍の派遣が承認された。1965年2月から韓国軍部隊が派遣された。4月3日から約200人の韓国軍に対して北ベトナム軍から砲撃を受けた。1965年9月から、韓国軍の猛虎師団が赴任し始めた。1966年末には、ニンツアン省とビンジン省まで戦闘を拡して占領して、ベトコンと北部ベトナム軍に対して猛攻撃をした。1967年には最大の約44,829人まで増員されて、1973年3月23日まで留まってベトナムから撤退した。韓国が関与した1964年9月11日から1973年3月23日まで約8年5ケ月間に派遣された韓国軍兵士は延べ人数で約325,517人に及んだ。約5,099人が戦死して、約10,962人が戦傷した。