2018年8月7日火曜日

サブラー・シャティーラの難民キャンプで、親イスラエルのレバノン軍団が、パレスチナ人市民を大量虐殺した。

サブラー・シャティーラの難民キャンプで、1982年9月16日から18日にレバノンの親イスラエルの民兵組織「レバノン軍団」が、パレスチナ難民を大量虐殺した。1975年から混迷したレバノン内戦に、イスラエル軍が6月6日にパレスチナ開放機構(PLO)を撤退させるためにレバノンに侵攻した。親イスラエルのバシール・ジェマイエル大統領が9月14日に爆弾で暗殺された。PLOの容疑として、レバノン軍団は9月16日午後6時のイスラエル軍の照明弾により、レバノン軍団は一斉にキャンプに侵入して大量虐殺をした。その虐殺は2日間に及び、虐殺者数は約762人以上と推定された。虐殺事件が国際的非難を受けて、12月16日に国連総会は「ジェノサイド」として非難決議は、採決の棄権により反対無しで123か国の賛成多数で可決した。イスラエル国防相のアリエル・シャロンは辞職した。悲劇は、1982年の虐殺だけではなく、サブラー・シャティーラの難民キャンプは1975年から90年までレバノン内戦の間に7回も攻撃された。イスラエル軍だけでなく、85年から87年にはシーア派民兵組織の包囲攻撃も受けた。「サブラ・シャティーラ」は、市民の戦争犠牲の典型例でもある。軍隊や武装勢力の兵士により、市民の人権は虐待と虐殺を受ける。軍事的に衝突するほど、その犠牲者になっているのはいつも市民であった。