2018年8月21日火曜日

関東軍の防疫給水部であった第七三一部隊の陸軍軍医学校から、生体実験された人骨が多量に発掘された。

関東軍の防疫給水部であった第七三一部隊の上部機関である陸軍軍医学校から、生体実験された人骨が多量に発掘された。日中戦争にて、日本関東軍は1933年に満州関東防疫班を満州の背陰河に設立して、1939年にハルピン郊外の平房に移設した。1940年に関東防疫給水部の本部とする七三一部隊を設置した。満州鉄道衛生研究所や関東軍軍馬防疫・ハルビン医科大学・満州医科大学も協力した。七三一部隊は、毒ガスや細菌兵器の製造のため、監獄捕虜を「丸太」と呼称して、人体実験の実験と開発で、約3,000人以上を虐殺した。ソ連と中国は、戦争犯罪を指摘したが、アメリカ軍のGHQは東京裁判では訴追しなかった。アメリカ軍は細菌兵器・実験の全資料を独占して、石井四郎中将らの七三一部隊を免責に処した。中国の本部・支部跡・満州医科大学などからは生体実験の遺骨や証言が残存していた。1989年に七三一部隊を管轄した陸軍軍医学校の跡地からも実験の痕跡や多数の人骨が発掘された。アメリカは1983年のサンダース・トランプ調査官の報告書に引続き、1992年に細菌感染の人体実験の資料を押さえた。牡丹江憲兵隊が七三一部隊に送還された夫の名簿から、妻の敬芝蘭が日本政府を告発した。1950年に勃発した朝鮮戦争で、アメリカ軍はペスト・炭疽菌・コレラ菌などの細菌や毒ガスの科学兵器の使用を、中国・北朝鮮は告訴した。国際科学委員会は、アメリカ軍が七三一部隊と類似の細菌化学兵器の空爆を報告した。七三一部隊兵士は免責された上に、北野政次・内藤良一は、輸血とエイズの化学製剤のミドリ十字を創設して、その他は科学研究所や大学教授などの社会的厚遇を受けた。