2018年8月13日月曜日

ドイツのハンブルグは連日の大空襲を受けて廃墟になり、高熱と放熱が継続して黒化した死体が歩道や街路に放置された。

ドイツのハンブルグは、イギリス空軍が主体となり1943年7月24日から、ロンドン空襲を報復させる連日の大空襲を受けて廃墟になった。火災で崩壊した建物や瓦礫や地下室は、高熱と放熱が継続して、処理するまでに死体が黒化した。タライに集積された焼死体が、歩道や街路に放置されていた。時限爆弾も投下されて、36時間、72時間、144時間後に再爆発して、救護も困難となった。ナチス・ドイツ軍は、集合墓穴禁止令で1944年2月になっても、爆撃による市民の死体の収容を、集合墓穴に土葬することを厳しく禁じた。大量虐殺の強制収容所の死体の焼却による抹消の手段に類似された。市民の死体には火葬しか選択肢がなく、ガソリンをかけたり、火炎放射器で焼却した。膨大な墓地の面積の不足によって、虐殺された市民には、自分の墓もなく死後の権利も剥奪された。遺骨も灰となり残骨と混在して、身元の識別は不可能となった。捕虜や囚人が土中の墓穴を掘らされた。都市部では、墓と死後の権利が保持された兵士用墓地も、市民には用意されなかった。