2018年8月10日金曜日

同時多発テロで、火炎と砂煙で救助不可であった礼拝堂の牧師の死体を消防隊員らが苦悶しながら搬送した。

アメリカ合衆国のニューヨークにて、2001年9月11日火曜日に同時多発テロが勃発した。世界貿易センター(WTC)がテロの標的となった。広島原子爆弾などの核爆弾の爆心地の跡地を連想して、グラウンド・ゼロと呼称された。ニューヨーク市消防局の礼拝堂の牧師の死体を消防隊員らが苦悶しながら搬送した。その爆心点は火炎と砂煙で救助するのは不可能となり、牧師はグラウンド・ゼロで礼拝中に爆死した。アメリカン航空11便が午前8時46分にWTC北棟109階、ユナイテッド航空175便が9時3分にWTC南棟109階に突入した。多量のジェット燃料で、火災と黒煙が全階に充満した。WTC南棟は午前9時59分に、WTC北棟が午前10時28分に全崩壊した。同時多発テロ死の犠牲者数は約2,749人で、その内の約412人が消防士、約147人が航空機の乗客であった。衝突時から崩壊までに102分間の猶予により、WTCビル内から約14,000人以上は避難できた。アメリカ政府は捜査の過程から、テロ攻撃がサウジアラビア人のオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカーイダ」が実行した断定した(アルカーイダは否定も肯定もしない)。アフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求した。ターリバーン側は、「証拠があれば引き渡す。今の段階ではアルカーイダとは断定できない。」と引き渡しを拒否した。アメリカ合衆国軍はターリバーン政権に対して、アメリカ軍とイギリス軍を主体とした有志連合軍が、10月2日にアフガニスタンに侵攻して、11月13日に首都カブールを征服した。アフガニスタン紛争はソ連軍に引き続いて、アメリカ軍により再燃して、中東紛争が長期間に泥沼化して、いつでもどこまでも中東市民が犠牲者となった。