2018年5月30日水曜日

ナパーム弾に被爆して黒焦げになったベトナム人の児童を、祖父母が抱いて逃げ回った。

ベトナム人の2人の児童がナパーム弾に1972年6月に被爆した。黒焦げになった児童を、祖母父が抱いて逃げ回った。アメリカ軍が開発したナパーム弾は人体に付着すると取れず、広範囲に火傷して絶命した。ベトナム戦争で、アメリカ軍と南ベトナム軍は、1966年12月からナパーム弾を森やジャングルに潜む北ベトナム兵を壊滅するために無差別に投下した。ナパーム弾は、燃焼材のナフサに増粘剤のナパームを充填した焼夷弾で、約1,000度もの高温で広範囲を焼滅する。国連人権小委員会は1996年8月に「核・化学・生物兵器・気化爆弾・ナパーム弾・クラスター爆弾・劣化ウラン兵器の製造・使用の禁止を求める決議」をアメリカのみ反対で採択した。アメリカ軍は、アフガニスタンからイラク戦争でナパーム弾と類似のMark77爆弾を使用した。