2018年5月11日金曜日

ベトナム戦争で、イア・ドラン渓谷にて、ヘリコプターで派遣されたアメリカ軍兵士らが、戦死者の死体を抱えながら回収した。

1964年8月2日のトンキン湾事件からアメリカ軍はベトナム戦争に突入して、当初は年内にベトナムを平定する戦略であった。しかし、北ベトナム軍は、カンボジア領からベトナム中部高原に侵攻、海岸部も一部占領して南ベトナムを中央で分断した。1965年1月の旧正月(テト)末までに、北ベトナム軍と解放戦線は沿岸部の一部も占領した。3月にはダナン空港基地が、解放戦線の攻撃を何度も受け、各地で散発的な戦闘が発生した。7月には中央高原で北ベトナム正規軍と最初の大規模な戦闘が9月まで続いた。中央高原のイア・ドラン(Ia Drang)渓谷に撤退していた北ベトナム軍が、1965年11月14日から11月18日までアメリカ軍を総攻撃した。ベトナム軍兵士は約1,519人が戦死して、アメリカ軍兵士も305人が戦死して、大規模な犠牲者を出した。イア・ドラン渓谷で、ヘリコプターで派遣されたアメリカ軍兵士らが、戦死者の死体を抱えながら回収した。