2018年5月28日月曜日

ウクライナのハリコフを占領したソ連軍は、多数のドイツ人住民を、バルコニーから絞首刑にした。

第2次世界大戦にて、ウクライナにてナチス・ドイツ軍とソ連軍のハリコフ攻防戦が1941年から1943年に掛けて、首都キエフに次ぐ大都市のハリコフ占領をめぐり4度にわたり攻防が繰り返された。ドイツ軍は1941年10月24日にハリコフを占領した。1942年のスターリングラード攻防戦でドイツ軍は危機に陥り、ソ連軍は春の雪解けまでに、領土回復を目指して引き続き進撃を続け、1943年2月18日にはハリコフを侵略した。ハリコフ占領時には、多数のドイツ人のハリコフ住民が、ソ連軍によりバルコニーで絞首刑にされた。ドイツ軍は危機に陥るも、ソ連軍の補給線が限界点に達して、ドイツ軍が数日後に一気に反撃に転じた。疲弊したソ連軍は総崩れとなり次々と壊走して、3月14日にハリコフもドイツ軍が占領した。やがて1943年8月21日にはドイツ軍が敗退して、ハリコフは8月23日には最終的にソ連軍に占領して終結した。