2025年8月24日日曜日

第二次世界大戦の1941年9月14日に、ポーランドのワルシャワのオコポワ通りにあるゲットー内の墓地に掘られた深い穴にユダヤ人の死体を葬儀屋が落とした。

第二次世界大戦の1941年9月14日に、ポーランドのワルシャワのオコポワ通りにあるゲットー内の墓地に掘られた深い穴にユダヤ人の死体を葬儀屋が落とした。M.B.ピンキアート葬儀社の葬儀屋が、ワルシャワ・ゲットー墓地の集団墓地に死体を荷車から降ろした。死体運搬車が空になるとすぐに死体が戻ってきた。「溝に捨てられた家庭ゴミのように、ほんの少し前まで生きていた人々の死体が、私の目の前で墓に捨てられた。墓地で恐ろしいことが起こっている」と説明文が記載された。

 1941年にドイツ空軍補給部隊のハインリッヒ・イェスト(Heinrich Jöst)という43歳のドイツ軍兵士がワルシャワ・ゲットーを数日間にわたり150枚以上の写真を撮影した。ワルシャワの他の写真や彼の軍隊の経歴など、「ワルシャワ・ゲットー、アドルフ・ヒトラーのための文化文書」と書かれた革表紙の立派なアルバムが並べられた。アルバムの109枚の写真のうち、56枚がゲットーの写真であった。写真の中には、車から撮られたり、兵士は寒いが晴れた日に、車に乗せてゲットーにきて、ゲットーのどこかで車を降り、徒歩で歩き回った。写真の正確な日付はわからないものは、1941年と推測できる。屋外で撮られて、ゲットーでの苦しみや困難な状況がすべて描かれている。多くの写真には、路上で倒れている人々、物乞いをしている子供たち、ゲットーの通りを覆っている悲惨さが写っている。

 ハインリッヒ・イェストは第二次世界大戦を生き延びた。彼は何十年もの間、ワルシャワ・ゲットーの写真のコレクションを誰にも一言も話さなかった。1982年に沈黙を破り、『シュテルン』誌のギュンター・シュヴァールベルクに写真を見せた。その一部が写真集『ワルシャワのゲットーにて』(Im Ghetto von Warschau)に掲載された。