沖縄戦にて1945年6月中旬に、アメリカ軍による掃討戦により、摩文仁の付近の岩穴から、瀕死に負傷した10代男性の鉄血勤皇隊員が引きずり出された。アメリカ軍兵士らによって、重傷の鉄血勤皇隊員が洞穴から引きずり出された。沖縄戦において正規部隊に併合され、実際に戦闘に参加し多くの戦死者を出した。
鉄血勤皇隊は、第二次世界大戦末期の日本の沖縄県にて、防衛召集により動員された日本軍史上初の14歳から16歳の学徒による少年兵部隊である。1942年10月の陸軍省令改正による防衛召集は「待命」が違って、待命中は民間の仕事に従事し、必要なときに限り召集され防衛する。連合国軍上陸が迫る沖縄では14歳から17歳の中学生の少年を鉄血勤皇隊として防衛召集した。沖縄師範学校の生徒は第32軍司令部に配属され、情報工作する千早隊、塹壕掘りや爆撃で破壊された道路や橋の修理を担う野戦築城隊、司令部壕前の立哨などに就いた斬込隊に分散された。
沖縄の10代の若人たちの鉄血勤皇隊は悲惨で甚大な犠牲となった。戦時下の沖縄には、12の男子中等学校と10の女学校があった。すべての学校の10代の生徒たちが、沖縄守備軍と県当局及び学校当局との緊密な強制下で、 戦場に駆り出され、過半数が犠牲になった。男子生徒たちは、1786人以上 が軍に動員され、921人以上が戦死した。女子生徒は735人中、296人が犠牲になった。10代の若人たちを戦場に出す国会で法案にも基づかず、沖縄の10代の男女生徒たちは、法的根拠もないままにら超法規的に戦場に駆り出された。沖縄守備軍司令部首脳が自決した、1945年6月22日の翌23日になって初めて「義勇兵役法」が公布されて施行された。日本本土の男性は15歳から60歳、女性は17歳から40歳までを戦闘員として戦場に出すことが可能になった。