2020年12月25日金曜日

ベトナム戦争の田んぼの泥沼で、ベトコンに殺害されたアメリカ軍の海兵隊員は、右手にナイフを握りしめたままの死体となった。

ベトナム戦争の田んぼの泥沼で、アメリカ軍の海兵隊員が右手にナイフを握りしめたままベトコンに殺害された。海兵隊員は、泥沼の田んぼの中で、マリン・ナイフを必死に振り回していた。戦闘の翌日の1965年8月18日に、田んぼの泥沼から死体を引き上げた時も、右手にナイフを握りしめていた。
 アメリカ軍海兵隊は、1965年8月16日に南ベトナム解放戦線(ベトコン)の部隊とバンチュオン半島で遭遇した。2日間の戦闘で、ベトコンは約600人のベトコンが殺害されて、アメリカ軍は戦死者約50人、戦傷者約200人以上の犠牲者が出た。アメリカ軍がベトコン領域に侵入していた。アメリカ軍の戦車に命中弾を受けて、装甲を突き通し、アメリカ軍兵士の2人が負傷した。
 灼熱の太陽の下で、ベトナムの田んぼの泥の中でアメリカ軍海兵隊の約30人が強力な装備の戦車や装甲車の側で立ち往生した。ベトコン側の地域に入り込んで、突然と茂みと泥沼からベトコンが出現した。戦車も装甲車も田んぼに埋まり込んだ。貧弱な装備のベトコンのゲリラから猛烈な攻撃で多数の海兵隊が殺害された。ベトコンが駆け上がり、装甲車のハッチから手榴弾を投げ込み海兵隊2人が殺害された。海兵隊の戦傷者らはハッチから抜け出して飛び降りた田んぼで銃殺された。海兵隊は装甲車から機関銃で掃討しても、ベトコンのゲリラは周囲に変装して、近づいても見分けが困難となった。何回も何回も、ベトコンのゲリラは海兵隊を襲撃して、双方の死体が漸増した。ベトナム戦争の展開は、損耗の戦争に変わった。