太平洋戦争の硫黄島の戦いにて、アメリカ軍は戦車や火炎放射器などで、洞窟陣地にひそむ日本軍兵士を掃討した。アメリカ軍の目前に追いつめられた日本軍兵士は1945年3月26日早朝に、日本軍兵士の斬り込みバンザイ突撃により、西集落南方のアメリカ軍海兵隊・陸軍航空隊の天幕陣地を奇襲した。その戦闘は約3時間にもおよび、日本軍の一部は元山、千鳥飛行場に突入したが、結局は玉砕して全滅した。日本軍兵士の遺棄された死体は196名にのぼった。アメリカ軍の天幕周辺には、戦闘後に無惨な日本軍兵士の散乱した死体が残存した。
3月17日に、アメリカ軍は硫黄島最北端の北ノ鼻まで到達した。栗林忠道は3月17日付けで特旨を以て日本陸海軍最年少の陸軍大将に昇進した。3月17日に最後の総攻撃を企図して、各部隊へ最後の指令が送られた。アメリカ軍は3月18日以降、艦砲射撃や空爆を中止し、海兵隊員を順次後方に下げて、日本軍との近接戦闘を避けて、戦車と迫撃砲による火力封鎖を主とする戦術に切り替えた。日本軍は3月24日に攻撃の好機と判断すると、3月25日夜間に総攻撃開始を決定した。日本軍兵士に、残存した食料と水を全て放出して、全員に渇きと飢えを癒すように命じた。
栗林忠道大将は、3月26日の午前2時ごろ部隊の先頭に立って地下壕を出た。総勢400人の日本軍部隊は侵攻を続けた。午前5時15分にアメリカ軍の野営地を発見して、総攻撃を開始した。アメリカ軍を大混乱に陥って、戦闘は真っ暗闇の中で大混戦となった。アメリカ軍の増援も到着して、3時間の激戦によって、日本軍の攻撃隊は撃退された。アメリカ軍は53人が戦死して、119人が戦傷した。最後の総攻撃後には日本軍兵士の死体の262体が残され、18人が捕虜となった。