ドイツ国防軍の特殊行動部隊と秘密軍事警察はロストフ・オン・ドンで、ソ連のパルチザンと共産党の幹部であると容疑して、約700人のソ連の民間人を逮捕し、1942年8月2日までに約400人を獄中で処刑して虐殺して死体を集積した。1942年から1943年にかけて、ナチス・ドイツ軍の親衛隊の特殊行動部隊(Einsatzkommando)によって、約27,000人のユダヤ人の民間人が、ロストフ・オン・ドンの渓谷で虐殺された。ユダヤ人が大量虐殺された蛇の渓谷は、ロシア語でズミエフスカヤ・バルカ(Zmievskaya Balka)と呼称された。ズミエフスカヤ・バルカは、ロシアで最大のホロコースト犠牲者の埋葬地となった。
ドイツ軍はバルバロッサ作戦でロシアに侵攻する最中に、ドイツ国防軍は1941年7月23日にソ連の赤軍から東ヨーロッパ平原南東部のロストフ・オン・ドンを再占領した。ドイツ国防軍の特殊行動部隊と秘密軍事警察は、ソ連のパルチザンと共産党の幹部であると容疑して、約700人のソ連の民間人を逮捕し、1942年8月2日までに約400人を獄中で処刑して虐殺した。
さらにナチス・ドイツ軍の特殊行動部隊は、残存していた約2,000人のユダヤ人を、1942年8月11日午前8時にロスト・オン・ドンに集結させた。8月11日から8月13日にかけて、ロストフのユダヤ人男性を郊外の谷間にあるズミエフスカヤ・バルカに強制行進させた。アンザックはユダヤ人男性を砂岩の採石場と近くの果樹園で虐殺して、その死体をズミエフスカ・バルカ渓谷の巨大な穴や溝に埋めた。女性・子供・老人は、トラックで強制連行して、毒ガスで処刑して、死体を同じ蛇の渓谷に埋めた。その後にも、少なくとも約15,000人ものユダヤ人が大量虐殺されて、その後も1943年2月までロストフ・オン・ドンで虐殺は継続されて、約27,000人が虐殺された。ロスト・オン・ドンの約53,000人の民間人が強制労働のためにドイツに強制連行された。ロストフ・オン・ドンは1943年2月14日にソ連の赤軍によって解放された。
ソ連当局は、ウクライナのキエフでのバルビヤール渓谷の大量虐殺は喧伝したが、反ユダヤ主義のためにロストフ・オン・ドンの大量虐殺は秘密裏にされた。戦後、ソ連当局はズミエフスカヤ・バルカをゴミ捨て場にして無視した。1949年に、ユダヤ人コミュニティが行った毎年恒例の追悼式は禁した。1975年5月9日なって、ナチス・ドイツによる犠牲者の記念碑がズミエフスカヤ・バルカに建立された。1990年代から2000年代に、記念碑と博物館は機能せず、小道のアスファルト舗装が崩壊して、永遠の火にガスが供給されなんかった。2009年になり修理と修復作業が始まり、2009年11月末までに復元された。