2018年7月8日日曜日

日露戦争の満州侵略の途上にて、日本軍は義州元化洞の九里島を占領時の戦死者を集積しては火葬した。

日露戦争の緒戦にて、満州を侵略するために、日本軍は中国と北朝鮮の国境となる鴨緑江を渡河した。日本軍は1904年4月25日の夜に、北朝鮮北西部の虎山として知られる鴨緑江に面した九里島に侵攻した。4月26日朝に義州元化洞の九里島に攻撃して上陸して占領した。それを阻止するロシア軍の砲兵隊に砲撃を受けて、多数の戦死者を出した。日本軍は4月30日から5月1日まで鴨緑江を渡河して満州へ向かう途中で、それを防御するために待機していたロシア陸軍との間で戦闘が勃発した。戦争下の日本軍は不利な状況になり窮地に至って、日本軍はロシア軍の砲撃により多大な犠牲を受けた。苦しい状況で攻めあぐねて、悲惨な戦況ともなった。ロシア軍も、悪路・悪天候の戦地の環境にも混迷して、戦地で苦戦をした。鴨緑江渡河の途上で、日本軍は義州元化洞の九里島を占領時の日本人兵士の戦死者の死体を集積しては火葬して処理した。5月1日の午後にはロシア軍の撤退によって日本軍は九連城一帯を占領した。