アフガニスタンのチャリカール近郊の空港にて、タリバンによる砲撃で死亡したアフガニスタン人の死体を、北部同盟のアフガニスタン人の兵士達が砲弾の跡を取り囲み見詰めた。タリバンの攻撃で破壊された建物からは死傷者を運び出していた。
アフガニスタン紛争の当時は、アフガ二スタン内情勢の報道はとても少なかった。報道写真家集団の「マグナム」のクリス・スティール=パーキンスは、1994年から国境なき医師団の活動で、アフガニスタンと関わり始めた。1994年から1998年までの約5年間に4回にわたり、当時タリバン政権下のアフガニスタンを記録した貴重な白黒の写真を残した。至近距離でアフガニスタンの日常を見詰めた写真は稀少である。マグナムは、約50年以上にわたり歴史に残る戦場写真を提供し続けた。しかしその50年間で一度も、戦争の勃発を無なくならなかった。
荒廃したアフガニスタンの国土を戦車や兵士が行き来した。死者と負傷者が、あちこちに溢れた。紛争の緊張のなかで、瓦礫の日常の光景を丹念に象徴した。平和とは何か、世界から孤立すると何かを、問いかける写真である。2007年から2021年の間に推定7万3000人のアフガン軍と警察官が死亡して、数万人のタリバン戦闘員も死亡した。アフガニスタン内戦で約4万7000人の民間アフガニスタン人が死亡し、
アフガニスタンのタリバンは1990年代初頭に設立されたスンニ派イスラム民族主義者で親パシュトゥーン勢力である。1979年にアフガニスタンに侵攻したソ連軍が、支援した政府が1992年に崩壊した。その後に、タリバンが1996年から2001年10月までアフガニスタンの大部分を支配した。タリバンが政権を取ってから,市民は見捨てられ、冷たい路上に放り出され,物乞いするか,ゴミを漁るか,あるいは死んでいった。孤児院では,就労禁止を拒否され、女性達はタリバン兵に虐待された。2001年9月11日の同時多発テロ後に、アメリカ軍は2001年10月にはテロ組織であるアルカイダを支援するタリバンを撃墜した。しかしその後に、タリバンは2021年8月にアフガ二スタンでの政権を奪還した。