人影の石 (Human Shadow Etched in stone)
住友銀行広島支店の入口階段を切り出して、1971年に広島平和記念資料館に移設した。銀行の開店前に階段に腰掛けていた被爆者は、広島原子爆弾が近距離で炸裂し、逃げることもできないまま、その場で死亡したと推定された。広島平和記念資料館に移設されるまでに1959年に柵を設け、1967年に強化ガラスで薄くなる影を覆っていた。風化等で人影の石は薄くなっている。原子爆弾の記憶が風化して薄れないように、人影の石の保持を継続している。
原子爆弾の強烈な熱線により階段は白っぽく変色し、腰掛けていた部分が影のように黒くなって残存した。この人影が自分の親族のものではないかという申し出が、複数のご遺族から寄せられている。 石段の人影だけでなく、壁、路面に焼き付く欄干の影、ガスタンクに残るハンドルの影などにも現れた。1人の婦人が銀行の開店を待って、右下肢を伸ばして、左下肢は立膝をして、石段にうずくまって腰掛けていたと推定される。たとえ炸裂直後に約4,000度に達しても、人体は気化することなく、骨と炭化した器官は残る。
1945年8月6日午前8時15分に広島原子爆弾が投下されて炸裂した爆心地から約260mに階段は存在していた。原子爆弾の約4000度もの熱線が、その周りの花崗岩の石段の表面を白く焼いて人の影の部分が残った。「死の人影」とも呼称された。石段に座った被爆者は、その場で即死した。
住友銀行は、ビルの外観だけを残して内部は崩壊した。8月6日には従業員は約29人が被爆死して、負傷者は約40人であった。
These stone steps were at the entrance to the Hiroshima Branch of the Sumitomo Bank. Exposed to the atomic explosion at close range , the person sitting on the steps waiting for the bank tp open is thought to have died on the spot with no possibility of escape. The intense heat of the A-Bomb turned the steps whitish; the stone under the sitting person remained dark, like a shadow. Several families have suggested that the person killed on the steps may have been one of their own.
広島平和記念資料館で強化ガラスで覆われた人影の石
アメリカ戦略爆撃調査(USSBS)が1945年11月20日に撮影した。