広島陸軍病院宇品分院にて、1945年9月11日にアメリカ陸軍の調査団員が、救護されて収書した被爆者を訪問診療をした。原爆症による被爆者の角膜を通じる光度で、水晶体の白内障を検査した。1945年8月6日に投下されて炸裂した広島原子爆弾による原爆症に関して、約1月後にアメリカ陸軍が被爆者を調査した。
原爆放射能は、眼球の水晶体が最も放射能の感受性が高く、放射能障害を引き起こした。放射線により、水晶体上皮細胞が傷害されて、水晶体単位が変性して、後嚢下白内障が生じる。原爆被爆者における術後白内障の有病率は、原爆放射線量とともに著しく増加した。原子爆弾が放射した放射能が誘発した白内障は、特有のドーナツ型の不透明度は、水晶体の後極で著明となる。一面にわたる水晶体の不透明度は、周辺部にも散在した。白内障は、水晶体の老化、糖尿病、放射線、外傷などの原因とで水晶体の混濁が発症した。原爆白内障は、被爆後の約3ヶ月から10年の間に出現して、加齢により視覚障害が進行した。爆心地からの距離が短いほど発生率は高くなった。広島原子爆弾では1948年6秋、長崎原子爆弾では1949年に認定された。
1928年に設立した国際X線ラジウム防護委員会は、1950年に国際放射線防護委員会(ICRP)に改組され、放射線防護の基本的な枠組みと防護基準を勧告する国際学術機関となった。 放射線防護委員会(ICRP)は、検出可能な水晶体混濁を引き起こすには少なくとも0.5〜2Svの短時間の曝露が必要であり、視覚障害の白内障には5Svが必要であると推定している。眼球被爆ガイドラインは、放射線白内障は、一般に2Gyを超える閾値線量を必要とされた。近年では、眼球被爆ガイドラインの最近の再評価により、放射線白内障の閾値を0.5 Gy /年に、眼球被爆限度を20 mSv /年に下げることが提唱されている。ICRPは2007年に線量限度を勧告した。職業人の線量限度を100mDv/5年かつ50mSv/年、一般公衆の限度を1mSv/年とした。
原子爆弾の炸裂により被爆して、その後にも影響が残るのは、放射能傷害であった。たとえ、熱傷や外傷が軽微であっても、固縛者は数日から数週間にわたり、放射能による身体障害に罹患する。体温が40度近くにも達して、口や鼻から大量に出血して、下痢、全身の倦怠感を伴いながら、原爆症により被爆死した。大量の放射能をあびた被爆者の身体の細胞や血液が傷害されて、多臓器の傷害、免疫機能の低下して重篤な原爆症が発症して、多数の被爆者が死亡した。