北朝鮮からの脱北者たちは、2009年9月にトラックの荷台に乗って、中国の国境からベトナム北部のむらまで移動した。中国の公安に逮捕されないように、ベトナムとの国境を越えて猛スピードでトラックが走った。トラックに全員が恐怖に包まれて体を縮めて座っていた。
9人の脱北者は周囲を警戒しながら、ベトナムとの国境がある中国・広西チワン族自治区の山道に体を潜めた。中国で逮捕されると、脱北者は北朝鮮に強制送還される。刑務所である教化所で、残酷な虐待を受けた。中国からベトナムに密入国して、ハノイの在ベトナムの韓国大使館に向かった。夜中に無人の山奥を、暗がりを這いながらも歩いた。しかし、在ベトナムの大使館の韓国人の職員が、駐在国を優先して、脱北者を受け入れを拒否した。脱北者を連れて他国に密入国するように指示した。欧米の他国の大使館に密入国するために、英語の文章を丸暗記した。警察官が取り囲む欧米の大使館に密入国した瞬間を、欧米の報道機関に秘密裏に捉えてもらい、国際的な圧力を加えた。大使館員が密入国を拒否するも、国際報道機関が脱北者を速報で公表したため、致し方なく脱北者を保護した。
脱北者は、1994年頃から北朝鮮から国外への難民が急増した。1993年の大水害と干ばつにより食糧難が深刻化して、大飢饉となった。2018年時点までに約31,500人が韓国に亡命して、韓国人となった。脱北は、まず中国に逃避した。国境警察官が、国境付近で脱北者を逮捕して、不法入国者として北朝鮮に送還した。韓国に入国しても、一部の脱北者は、社会的偏見や差別を受けて余計者として虐待された。