2018年4月3日火曜日

フジモリ大統領は、ペルー日本大使公邸内で銃殺されたMRTAのテロリーダーらの死体をらせん階段から見下した。

ペルーのリマで1996年12月7日に日本大使公邸のパーティを左翼ゲリラであったトゥパク・アマル革命運動(MRTA) が襲撃した。約700人以上もの参加者と大使館関係者を人質に占拠した。 MRTAは獄中の仲間の釈放,戦争税 (身代金) などを要求しながら、人質の大部分は釈放した。最終的には日本大使職員,ペルー政府高官,日本企業駐在員など 72人を抑留した。ペルー政府は、MRTAの武装グループの海外亡命の予備的交渉を開始した。日本政府は事件直後の1997年2月1日に橋本龍太郎首相はアルベルト・フジモリ大統領とトロントで会談して武力行使の自制を求めた。占拠事件は長期化し,交渉対も決裂した。特殊部隊140人が4月22日に公邸に突入を決行して,MRTAの 14人全員を銃殺して、その他に人質1人と特殊部隊員2人が死亡した。翌日4月23日にフジモリ大統領は、公邸内のらせん階段で銃殺されたMRTAリーダーのネストロ・セルパとテロリストメンバーらの死体を見下した。