太平洋戦争にて1945年6月5日にアメリカ軍の350機の爆撃機B29が神戸市の西宮と垂水の間を空襲した。兵庫県警本部から撮影して神戸市の山手通り市電の敷石上に多数の死体が散乱した。空襲で残っていた神戸市の東半分が焦土と化した。神戸大空襲の殺害と被害は甚大で、1945年3月17日、5月11日、6月5日と3回にわたる大空襲で、10数万の焼夷弾が投下されて神戸市内の主な市街は焼き尽くされた。
神戸の市街地や軍事目標に対する攻撃をアメリカ陸軍航空隊のB-29部隊が行った1945年6月5日の空襲は神戸大空襲と呼称された。神戸は6月5日に攻撃対象となり大きな被害を受けた。神戸大空襲により、の神戸市域に、死者7,524人、負傷者1万6,948人、戦災家屋数14万2,586戸、罹災者53万1,694人の大惨禍を受けた。
1944年11月1日から、爆撃機B-29がマリアナ基地(サイパン島、グアム島、テニアン島)から日本本土の上空に飛来し、戦略爆撃による本土空襲が本格化した。1945年3月中旬から8月15日まで、アメリカ軍B-29により都市工業地域に対する夜間および昼間の焼夷弾攻撃が執行された。大都市人口密集地域への焼夷弾爆撃(1945年3月中旬から8月15日まで)にて、人口密度の高い地域への焼夷弾投下による住宅の焼尽、無差別空襲で民間市民の都市住民を殺傷した。東京・横浜・名古屋・大阪・神戸への大量焼夷弾による爆撃をした。6月以降は中小都市にも対象が拡大した。広島、長崎の原爆投下も含め、全国の113自治体がアメリカ軍の空襲により殺害と被害を受けた。