2025年8月14日木曜日

残忍さで悪名高く、数多くの戦争犯罪を犯したドイツ第2親衛隊装甲師団のダス・ライヒ武装親衛隊たちが、1941年11月頃にロシア軍兵士の死体が横たわった森の小道を行軍した。

ドイツ第2親衛隊装甲師団であるダス・ライヒ武装親衛隊たちが、1941年11月頃にロシア軍兵士の死体が横たわった森の小道を行軍した。ダス・ライヒは残忍さで悪名高く、数多くの戦争犯罪を犯した。1944年6月9日のチュールの大虐殺、6月10日のオラドゥール・シュル・グラーヌの大虐殺などを引き起こした。

 ロシア西部での戦闘では、地形が重大な要因となった。ドイツ親衛隊SSの進軍とともに、バルト諸国とその周辺のロシア国土は深い森におおわれた。森林地帯での戦闘には特殊な技術が必要となる。ヴァッフェン親衛隊SSやドイツ国防軍の侵略マニュアルには特殊な技術はほとんど取りあげなかった。ドイツ南西部の森林地帯の黒い森のような土地で育ったドイツ軍兵士でさえ、ほとんど身動きがとれなくなった。うっそうと下草が生い茂った広大な森は、無経験であった。ロシアの森の一部は、まるで前人未踏の太古の森林であった。ロシア地域の一帯で戦ったドイツ軍は、偵察に出て行く森の奥深く分け入った者はほとんどいなかった。ドイツ軍兵士には深い森には踏み込むのが困難であり、ロシア軍の伏兵を恐れた。しだいに人数を増しつつあったソ連のゲリラ隊にとって、森は自然の隠れ家を提供してくれる場所であった。ドイツ軍はどうしても敵地のロシアの森を制覇できなかった。

 1944年6月9日、第2親衛隊装甲師団の兵士たちは、ドイツ占領軍に対する民間人の抵抗が高まる中で、トゥールで99人の民間人の人質を絞殺した。6月9日正午ごろ、30kmにあるオラドゥール=シュル=グラーヌに、第2親衛隊の120人の兵士が、村民は市場広場に集められた。男性は5つのグループに分けられ、納屋で射殺された。親衛隊兵士は女性と子供を村教会に閉じ込め、教会に火を放った。火から逃げる女性と子供たちを射殺した。その後、教会内に侵入し、生存者を射殺した。この虐殺で、村人642人が死亡し、そのうち245人が女性、207人が子供で、生存者はごくわずかであった。