第二次世界大戦末期のベルリン攻防戦で、ドイツ国防軍と武装親衛隊が使用した高射砲を自走したハーフトラック(Sd.Kfz.7/2)が、1945年4月19日にコトブス地区にて、ソ連軍の機関銃の掃射が貫通して破壊された。ソ連軍の機関銃にて、ハーフトラックが射撃されて、ドイツ軍兵士の乗務員が殺害された。ハーフトラックの外に殺害されたドイツ軍兵士の死体が並べられた。3日間にわたる激しい戦闘の末に1945年4月22日に、ソ連赤軍の第1ウクライナ戦線の部隊がコトブス市を占領した。
コトブス地区はベルリン攻防戦における重要地域であった。ドイツ第9軍はコトブスを死守し、北進するソ連軍の攻撃を命じられた。コットブス=ポツダム攻勢作戦は、1945年4月16日から4月27日の東部戦線におけるソ連軍の最後のベルリン攻防戦の一つであった。
中央軍集団の戦区を転戦して防衛戦を続け、4月16日からのソ連軍最後の大攻勢の時点には、コトブスの南約20kmのシュプレンベルクの東に布陣した。第1ウクライナ正面軍の攻撃によりナイセ河の戦線はたちまち突破された。ドイツ軍は北東方向に圧迫されて4月19日には後退した様々な部隊とともにソ連軍に包囲された。もはやソ連軍の進撃を阻止する戦力はなく、4月21日に南西方向への脱出が実施された。脱出戦で壊滅状態となり、わずかの兵士は徒歩で後退して5月3日にドレスデンにたどり着いた。
