2025年7月30日水曜日

桂林の中国軍洞窟陣地の中で、遺棄された中国人の洞窟に散乱した洞窟内の死体は、口を開けた顔や足は真っ黒に変色して、日本軍による毒ガス攻撃の犠牲者と想定された。

1944年に、日中戦争の中国戦線で、大規模な日本軍の攻勢作戦である大陸打通作戦が執行された。従軍カメラマンであった別所弥八郎が桂林の中国軍洞窟陣地の中で、遺棄された中国人の死体が洞窟に散乱していた。洞窟内の死体は、口を開けた顔や足は真っ黒に変色して、状況証拠から日本軍による毒ガス攻撃の犠牲者と想定された。

 大陸打通作戦の先陣部隊として参加した兵士たちは、コレラや赤痢に倒れ、弾薬が尽きるなか突撃した。東南アジアから南太平洋まで勢力を広げていた日本は、アメリカ軍の攻勢で資源の豊富な南方との海上交通路を失なうおそれを抱いた。陸軍参謀本部が考えたのが大陸打通(だつう)作戦により、中国大陸を貫く陸上交通路の確保である。参加する将兵は五十万人で、戦局を一気に打開することを目指した陸軍最大の作戦であった。

  日中戦争中の1944年4月17日から12月10日にかけて、日本陸軍により中国大陸で行われた作戦であった。連合国軍の空軍基地を占領するも戦略的には困難であった。国民党軍は大打撃を受けて国共内戦時に影響を受けた。日本軍は、10万人戦死・戦病死した。中国軍は75万人戦死・負傷した。