広島原子爆弾が72年前の1945年8月6日の午前8時15分に炸裂した。学徒勤労動員であった女子学生は、顔面がただれた重傷の火傷と全身に放射能に被爆して広島日赤病院に搬入された。8月10日まで放置されて治療も受けられずにゴザに寝たきりとなった。「水! 水!」と叫びながら、傍らの水も飲めず、やがて衰弱して数日で死亡した。
(広島原子爆弾から2017年8月6日午前8時15分で72周年、死没者名簿数 308,025名)
戦争により、横たわり、苦しんでいる市⺠を静かに⾒守る事しかできない。迫りつつある戦争を⽬前にして、市⺠の地域と家族に生命の尊厳が失われている。それぞれの生命が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは市⺠である。他⼈や部外者などから⾒れば、市⺠は微かな存在にすぎないであろう。戦争の持つ悲惨な歴史を他⼈や部外者には、共感できない事にもよる。 世界⼤戦から原爆による終⽌符で、市⺠は多くの悲惨な戦争の被害者となり加害者となった。戦争の経験による戦争市⺠に悲惨な戦争の記録を授けたい。戦争の荒波を渡る市⺠代弁者として、平和の羅針盤として、平和市⺠の⼼に送りたい。いつの時代も、戦争の加害者と被害者にされるのは市⺠です。JNWNの掲載における閲覧注意も慎重に留意してください。思い出の戦争は戦争の真の抑⽌⼒となります。⽇本から地球平和を探求します。Japan No War NGO 日本平和市民連盟 @JNW, May/12/2016 Access 900,000 (3,251), 9/23/2025 JNWは戦争歴史の保存と資料の配慮を図る。[NSFW: Not Safe For Work]