2024年6月25日火曜日

ペンシルバニア・サン船舶は、第二次世界大戦における大西洋海戦にてドイツ軍潜水艦Uボートからの魚雷による大火災が暴発した。大火炎が鎮火した後に、その犠牲者の黒焦げの骸骨が船舶上に発見された。

アメリカ船舶であるペンシルバニア・サン船舶は、第二次世界大戦における大西洋海戦にてドイツ軍潜水艦Uボートからの魚雷による大火災が暴発した。大火炎が鎮火した後に、その犠牲者の黒焦げの骸骨が船舶上に発見された。

 1942年7月15日07時49分に、アメリカ軍戦艦が護衛していないペンシルバニア・サン船舶は、約25km/時間でジグザグコースを航行中、キーウェストの西約200kmで、ドイツ軍潜水艦のU-571から魚雷を1発受けた。魚雷は5番と6番タンクの間の左舷中腹に命中し、艦橋の左舷翼を吹き飛ばし、クォーターマスターと船員が死亡して、積荷に引火した。船舶の積荷に発火し、船舶は瞬く間に地獄と化した。

 船長は全速力で南東に5分間操舵した後、エンジンの停止を命じて、救難信号を送った。乗組員9人、乗組員33人、武装警備員17人のうち59人の残存者は、3隻の救命ボートに乗って船を捨てた。漕ぎ出してシーアンカーを出し、救助船を待った。彼らは3時間半後に、アメリカ船舶のダールグレン(DD 187)に拾われて、その日のうちにキーウェストに運ばれた。生存者は57人で、2人が行方不明となった。

 翌日7月15日夕方に、船長と3人の士官、USSウィレット(ARS 12)の乗組員がペンシルバニア・サンに戻った。彼らは火炎を消して、キーウェストまで曳航した。そこで乗組員2体の焼死した死体などを搬出した。ペシルバニア・サン船舶は、仮修理を行った。タンカーは乗組員とともに自力でペンシルバニア州チェスターまで航行し、恒久的な修理が完了した後に1943年に運航に復帰した。戦後に1955年にドイツのD.オルトマン社に売却されて、1963年2月に破棄された。