2023年7月29日土曜日

1945年9月下旬、アメリカから医学面での協力要請により、日米合同調査団が結成された。10月中旬に合同調査団の広島班は、広島第一陸軍病院宇品分院を拠点とした。11月7日に宇品の広島鉄道局仮家屋で、被爆者の検診が実施された。

広島原子爆弾が投下された広島市内で、日米合同調査団の医師により被爆者の検診が実施された。1945年9月下旬、アメリカから医学面での協力要請により、日米合同調査団が結成された。10月中旬に、来日して広島市を訪問した合同調査団の広島班は、広島第一陸軍病院宇品分院を拠点として合同調査を始めた。1945年11月7日に、宇品の広島鉄道局仮家屋(the temporary home of the Hiroshima Railroad Bureau in Ujina)で、被爆者の検診が実施された。

  1945年9月22日に東京帝国大学医学部で、アメリカ側軍医関係者と東京帝国大学医学部の長宮猛雄教授らが会合し、アメリカ側は医学面での協力を要請した。その結果、「日米合同調査団(the Japan-US Joint Commission)」(アメリカ側は「合同委員会(the Joint Commission)」と呼称)が結成された。日本側参加調査団のメンバーは、主として都築教授によって選出された。東京帝国大学医学部の各教室から36名の研究者と医学部生21名、理化学研究所から村地幸一、これに、陸軍軍医学校、東京陸軍病院のメンバーが協力した。

 日本とアメリカの調査団なる合同調査団の広島班(アメリカ側メイソン大佐以下10人、日本側37人)は10月12日に広島に入った。広島第一陸軍病院宇品分院(the Ujina Branch of the Hiroshima First Army Hospital)を本拠として合同調査を始めた。合同調査団のアメリカ側医師と日本側医師は共同で被爆者の検診を行なった。アメリカ側の第一次調査は、1946年9月に終り、収集した資料はアメリカに持ち帰った。

 この合同調査団の調査内容については、アメリカ側は合同委員会の報告書1946年11月「日本における原爆の医学的効果」として、日本側は、学術研究会議の「原子爆弾災害調査報告集」の中でそれぞれ報告した。