2022年4月5日火曜日

アウシュビッツ強制収容所の門に近づくに連れて、一面の白い雪上の道端に黒い染みの数が増えて、強制連行された囚人が殺害されて凍死した死体の数が増大した。

第二次世界大戦中の1945年1月18日の夜は、ポーランド南部に死の行進と後に呼ばれたアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の門をくぐる旅となった。あたり一面は雪の夜の色であり、非常に長く黒い強制連行の車列は、ゆっくりと動いていた。突然に、雪道の両脇には黒い染みが見えて来た。強制連行された当初は、雪の白さに、自由に、鉄条網を後にしたことに、広い夜景に、通り過ぎた村々に酔いしれていた。その黒い染みの一つ、また一つをよく見てみると、その正体は囚人の凍死した死体であった。アウシュビッツ強制収容所の門に近づくに連れて、黒い染みの数は増えて、囚人の死体の数が増大した。

 死の行進の旅が長引くにつれて、囚人の体力は次第に衰えて、もたつくと最後の列に近づいていた。最後の囚人の列には、もたつく者、遅れをとる者は、誰でもナチス・ドイツ親衛隊の看守の射撃により殺害されて、道端の黒い染みの死体になった。その銃声はますます頻繁に発生して、黒い染みの死体はどんどん増えていった。アウシュビッツ強制収容所の赤レンガの門には、生存した囚人が到達した。赤レンガの塔の門で、その下を強制連行の列車が通っていた。うっとうしい霧雪が容赦なく降り続き、空気は雪と湿気の混じった静かな視界で飽和された。

 アウシュビッツ強制収容所の線路に沿って、赤レンガの門をくぐって、強制収容所に到達した。バラックとレンガの煙突の列、森と、別方向に傾いてよろめくコンクリートの柱と、張り詰めた鉄条網が水平線から水平線へと這っていた。周囲は圧倒的な静寂であり、鳥の声さえも聞こえず、無言であり、空虚であった。蟻のように、奴隷の軍隊のように、小道を行く囚人の列が密集して、コンクリートの柱の森に侵入した。とても憂鬱で荒涼とした風景であり、アウシュビッツ強制収容所が埋葬と墓地に変貌した。囚人として、解けない鎖で縛られ、足枷をつけられていた。無数の囚人が、一段一段と階段から降りていった地下のガス室には、コンクリートの屋根が横たわっていた。その毒ガス殺された囚人の死体は、黒く煤けたレンガの火葬場に延々と並べては飲み込まていった。