2019年6月4日火曜日

南北戦争の第3次ピーターズバーグの戦いにて、北軍の銃により塹壕と防御物に潜んだ南軍の兵士が銃殺された。

アメリカの南北戦争の第3次ピーターズバーグの戦いにて、1965年4月3日に北軍の銃により塹壕と防御物に潜んだ南軍の兵士が銃殺された。
 南北戦争も最終盤となった1865年4月2日には、バージニア州ディンウィディ郡のピーターズバーグの南西地域で、第3次ピーターズバーグ戦いが勃発した。1864年6月15日から292日にも及んだピーターズバーグ包囲戦が、この戦いで終結した。北軍は前日の4月1日にファイブフォークスの戦いで勝利した後に、ピーターズバーグの塹壕と防御物に潜む南軍の北バージニア軍に強襲を掛けた。北軍の強襲により、南軍の右側面から背面と残存した供給線が遮断された。北軍は約76,113人のうち約3,936人が犠牲となった。南軍は約58,400人のは、戦死、負傷、捕虜となって約5,000人以上もの戦死傷者が犠牲となった。
 ピーターズバーグで南軍の防衛線は、極限まで引き伸びて、守備兵を配備するのが困難となった。さらに3月下旬から続く戦闘により、脱走兵や戦死傷者が続出した。北軍は、ピーターズバーグの南軍の防衛線にも強襲を掛けた。南軍の守備隊の最後の砦が、北軍の突破を食い止めた。バージニア州に残存していた南軍のアメリカ連合国政府、南軍の陸軍とと海軍、地元の守備隊が、4月2日から3日の夜にかけて、ピーターズバーグと首都リッチモンドから脱出した。
 1865年4月3日には、北軍がリッチモンドとピーターズバーグを占領した。その後に北軍の大半は、南軍の北バージニア軍を追撃した。最終的に4月9日のアポマトックス・コートハウスの戦いで、南軍の北バージニア軍を包囲して、南軍は降伏した。