2019年1月31日木曜日

第二次上海事変における南京路の虐殺の惨状が毎日新聞への掲載が不許可写真となった。

第二次上海事変における1937年8月の南京路の惨状が、日本軍により毎日新聞への掲載が不許可の写真となった。多数の上海市民が上海事変に巻き込まれて南京路で虐殺された。日中戦争にて、第二次上海事変が1937年に8月13日から10月26日まで勃発した。
 国民総動員法が新聞報道を完全に発禁させた。その新聞事業令が最悪の言論統制法規であった。言論面と新聞用紙、営業、業務へ全面的な統制から、違反すると「発禁」を超えた「廃止」で脅迫した勅令により、日本の言論統制体制が確立された。
 毎日新聞大阪本社には、他の新聞社にはない戦時中に使用された報道写真が残されている。大量の戦時中の写真が残されているのは大阪毎日新聞社のみである。終戦間際には膨大な写真は空襲などで消失した。さらにアメリカ軍主体の進駐軍の手に渡るのを避けるために、日本軍部は報道資料を含む戦時資料の焼却を命じた。当時の毎日新聞社内は拒否して、危険が迫りながら生駒山に隠した。多数の貴重な戦争写真真が残存した。「不許可写真」は、当時の日本軍部がすべての発行物を検閲する中で、不適当とされた不許可の写真である。「不許可」の印が押され、そのまま社内の倉庫送りとなる。「不許可写真」には、明らかに「不許可」になる写真も多い。「不許可写真集」の写真にも、新聞社と検閲官との駆け引きがあった。