ネパール政府軍兵士は、ネパール共産党毛沢東主義派(以下、マオイスト)のゲリラとの戦闘で、2002年5月に殺害したゲリラの死体を集積した。ネパール政府軍兵士は、木製の担架でゲリラの死体の両手と両足を縛って運搬した。ゲリラは、1996年頃から政府軍に反抗して、中山間地域を基盤にして、血にまみれの内戦が勃発した。
ネパール内戦が、1996年2月13日から2006年11月21日の包括的和平協定の成立まで、約11年間にわたり、ネパール政府軍とマオイストの間で繰り広げられた。2002年5月に、マオイストのゲリラ拠点であるネパール中西部のロルパ郡ガム村に、ネパール政府軍の治安部隊がマオイストのキャンプを襲撃して、無差別に約150人を殺害した。
1996年に、マオイストはネパール政府に対して武力闘争を開始した。その後、2006年の停戦に至るまでの約10年間で民間市民を含めて、約13,000人もの犠牲者を出した。内戦だけでなく、カーストや民族間の対立、援助慣習など社会問題により、社会的環境は悪化した。国連のUNMIN(国連ネパール政治ミッション)が、2007年1月から2011年国連平和維持活動をした。2008年には制憲議会選挙を実施して、第1党となったマイトス勢力が王政が廃止して、ネパール連邦民主共和国に移行した。王政の廃止以降に、憲法制定作業が難航した新憲法が、2015年9月20日に公布された。