Japan No War NGO (JNWN) 日本平和市民連盟

戦争により、横たわり、苦しんでいる市⺠を静かに⾒守る事しかできない。迫りつつある戦争を⽬前にして、市⺠の地域と家族における生命の尊厳が失われている。 それぞれの生命が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは市⺠である。他⼈や部外者などから⾒れば、市⺠は微かな存在にすぎないであろう。それぞれの戦争の持つ悲惨な歴史を他⼈や部外者には、共感できない事にもよる。 世界⼤戦の戦争から原爆による終⽌符の犠牲で、市⺠は多くの⾟酸を受けた。戦争の経験による戦争市⺠に悲惨な戦争の記録を授けたい。戦争の荒波を渡る市⺠代弁者として、平和の羅針盤として、多くの平和市⺠の⼼に送りたい。いつの時代も、戦争の加害者と被害者にされるのは市⺠です。JNWNは閲覧と掲載も慎重に留意します(Ref:参照; Blogger:免責; SNS:勧告等)。思い出の戦争は戦争の真の抑⽌⼒となります。 ⽇本から地球に向けて、地球平和市⺠連盟は地球平和を探求します。Japan No War NGO 日本平和市民連盟 @JNWN, May/12/2016 Access 700,000 News 2,877 July/17/2024

2019年5月31日金曜日

ロシア内戦でタンボフ反乱を起こした農村の農民は、1920年代にボリシェビキを首吊りで虐殺した。

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ロシア内戦によって、タンボフ反乱を起こした農村部の村人たちは、1920年代にボリシェビキ派を首吊りにて虐殺した。ボリシェビキは、モスクワの南400kmにあり、豊かな土壌を保有し、農業が盛んなタンボフに、約50回も食料徴発部隊を派遣して、農民を追い詰めた。飢え死なく穀物を自由に...
2019年5月30日木曜日

ミャンマー軍兵士が夜間に少数民族のカレン民族の農村を襲撃して、約12人のカレン人を山林で虐殺した。

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ミャンマー南東部に居住しているカレン民族は、2002年にミャンマー軍兵士により夜間に農村が襲撃された。約12人のカレン人がミャンマー国軍により山林で虐殺された。虐殺されたカレン人の死体は、山林に運搬されて横並びにされた。  日本軍が1942年にビルマに侵攻して、1948年に...
2019年5月29日水曜日

アメリカ軍の爆撃によるイラク人の少年の重症の火傷の処置で、激痛で苦しみ悲鳴を上げ、父親は泣きながら少年の手を握った。

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イラク戦争におけるアメリカ軍の爆撃により、2004年3月にイラク人の少年が、顔面から肩にかけて重症の火傷を受傷した。カルラバの病院で火傷の処置のために、イラク人の少年は、病院の職員が包帯を取り替えるたびに、激痛により苦しんで悲鳴を上げた。少年の父親は、泣きながら少年の手を握っ...
2019年5月28日火曜日

太平洋戦争のガダルカナル島の戦いで、日本軍兵士が戦死や病死した死体に蝿が集り腐敗していた。

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太平洋戦争のガダルカナル島の戦いで、日本軍兵士が戦死や病死して、1943年1月30日に死体に蝿が集り腐敗していた。ガダルカナルの戦いでは、戦闘だけでなく、飢餓とマラリアや赤痢などの病死から膨大な日本軍兵士の戦死者の死体が放置されて散乱していた。  ガダルカナル島の戦いで、...
2019年5月27日月曜日

イラク戦争後に、反政府ゲリラの若い青年のイラク人は、約5発以上も身体に被弾して、多量の出血を伴って戦死した。

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イラク戦争後に、アメリカ軍が反政府ゲリラのイラク人を銃殺した。反政府ゲリラの若い青年は、アメリカ軍兵士に対して狙撃していた。アメリカ軍から銃弾をすくなくとも約5発以上も身体に被弾して、上半身から腹部から多量の出血を伴って戦死した。  戦争社会では、殺害し合って生命を奪い合...
2019年5月26日日曜日

マニラの戦いにて、日本軍は1945年2月8日に約90人のフィリピン市民をゲリラ容疑者として溝の中で虐殺した。

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太平洋戦争にて、マニラの戦いにて、日本軍は1945年2月8日に約90人のフィリピン市民がゲリラ容疑者として、溝で虐殺した。  アメリカ軍は日本軍が占領するマニラ市内に1945年2月4日に侵攻した。マニラ市内の市街戦の前後に、多数のフィリピン市民が犠牲になった。日本軍は、マニ...
2019年5月25日土曜日

シリア内戦にて、シリア政府と反政府勢力との悲惨な戦闘により膨大な犠牲者の死体がアレッポに散乱した。

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シリア内戦にて、シリア政府と反政府勢力とが、シリア北西部のアレッポで悲惨な戦闘による膨大な犠牲者が出た。アレッポの戦いにて、2012年12月30日に、戦闘の最前線における街路に、殺害された死体が散乱した。死体は狙撃等の恐れから、回収できずに道端に放置されてミイラ化した。  ...
2019年5月24日金曜日

日本軍が朝鮮半島に敷設した鉄道の線路を引き抜いた容疑で、3人の朝鮮人たちが逮捕されて銃殺された。

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日本軍が朝鮮半島に鉄道を敷設すると土地を差し押さえられて、何の補償も受けれなかった3人の朝鮮人たちが、1906年に鉄道の線路を引き抜いて逮捕されて、銃殺された。  1910年8月29日の日韓併合後に、日本は朝鮮の伝統と文化を抑圧して、主に日本の利益のための政策を策定して実...
2019年5月23日木曜日

南アフリカのソウェトで、警察官が抗議行動に参加した学校の黒人生徒たちに無差別に虐待と虐殺した。

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南アフリカのソウェトの黒人居住区で、南アフリカの警察官が1976年6月16日にアパルトヘイトの抗議行動に参加した学校の黒人生徒たちに無差別に発砲した。学生らは南アフリカの黒人学校の教育言語の強制に抗議しながら、アパルトヘイト警察によって虐待と虐殺された。  警察により虐殺...
2019年5月22日水曜日

イラク戦争にて、アメリカ軍海兵隊の衛生下士官が、瀕死の戦傷を受けたイラク調停軍兵士を緊急処置をした。

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イラク戦争にて、アメリカ軍海兵隊の衛生下士官が、2005年9月4日の戦闘により瀕死の戦傷を受けたイラク調停軍兵士を緊急処置をした。イラク人兵士は、多国籍軍がイラク市民に救助物資を配分しているときに、反乱武装勢力のテロリストによって襲撃された。イラク反乱武装勢力は、多国籍軍から金...
2019年5月21日火曜日

レニングラード包囲戦に参戦したスペイン義勇軍兵士が、出口にドイツ軍兵士の死体が散乱した塹壕から両手を上げてソビエト赤軍に降伏した。

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第2次世界大戦の東部戦線におけるレニングラード包囲戦に参戦したスペイン義勇軍の兵士が、塹壕から両手を上げながら出て、1943年2月10日にソビエト赤軍に降伏した。塹壕からの出口には、多数のナチス・ドイツ軍の親衛隊の戦死した死体が散乱していた。ソビエトの内務人民委員部(NKVD...
2019年5月20日月曜日

アメリカ海軍は沖縄沖で沈没した特別攻撃機を引き上げて、操縦士の遺体の検死をして、無残な死体を太平洋に投げ入れて水葬した。

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太平洋戦争の沖縄戦にて、日本軍の特別攻撃機による体当たり攻撃がアメリカ海軍の艦艇に突撃した。 日本軍の一機の特別攻撃機が、 沖縄沖でアメリカ軍の攻撃輸送艦のアルパイン(USS Alpine, APA-92)に突入した。特別攻撃機は体当たりできずに、アルパインを飛び越して沖縄沖...
2019年5月19日日曜日

ベトナム戦争で戦死したアメリカ軍兵士の死体はまだ死後硬直もなく、移動するたびに鮮血が流れ落ちた。

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ベトナム戦争にて、クチのホーボーウッドにおいて、アメリカ軍兵士が1968年に戦死した。森林のジャングルにおける接近戦により、北ベトナム軍兵士らに銃殺された。同僚のアメリカ軍兵士は、戦死した直後の死体を抱えた。死体はまだ死後硬直もなく、死体は移動するたびに鮮血が流れ落ちた。近く...
2019年5月18日土曜日

長崎市西坂町26聖人の高台にて、長崎原子爆弾の被爆犠牲者に対するキリスト教による野外ミサが挙行された。

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長崎市内に1945年8月9日に原子爆弾が投下して炸裂した。第2次世界大戦後では初めて、長崎市西坂町26聖人の高台にて、長崎原子爆弾の被爆犠牲者に対するキリスト教による野外ミサが1945年3月に挙行された。西坂町は長崎原子爆弾の爆心地から約2.1kmで、一面が壊滅して廃墟となっ...
2019年5月17日金曜日

日露戦争の遼陽の会戦にて、黒英台附近の荒野には多数の日本軍兵士の戦死体が散乱した

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日露戦争の初戦の遼陽会戦において、戦場となった黒英台附近の戦状では、1904年9月4日の黒英台附近の荒野には多数の日本軍兵士の戦死体が散乱した(「日露戦争写真画報, 第14巻」)。荒野に散乱した戦死者の死体を検死して処理をした。戦場では日本軍兵士は死と隣合わせであることを、残...
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