2025年8月23日土曜日

ベトナム戦争にて、1965年に南ベトナム南中部沿岸地方のビンディン省のタムクアンにアメリカ軍の海兵隊が駐屯している時に、ベトナム解放戦線(ベトコン)が夜襲をして、激戦により両軍に多数の死傷者を伴った。

ベトナム戦争にて、1965年に南ベトナム南中部沿岸地方のビンディン省のタムクアンにアメリカ軍の海兵隊が駐屯している時に、ベトナム解放戦線(ベトコン)が夜襲をした。その激戦によって、両軍に多数の死傷者を伴った。タムクアンは、ビンディン省の北部に位置した。

 ビンディン省は伝統的な共産党とVCの拠点だった。1965年アメリカ軍は、南ベトナムで急速に軍備を増強した。共産主義者が支配するベトコン(VC)が、ベトナム国内の農村部で住民の多くに影響力を持った。南ベトナム政府がベトナム戦争に劣勢になった。北ベトナムも、南ベトナム軍とアメリカ軍に対抗するため、人員と物資の浸透を急速に増強した。北ベトナムとVCは、ベトナム国内を統合しようとした。

 1965年2月にビンディン省では、VCがギア・フーの拠点で南ベトナム軍部隊を制圧した。VC大隊は、フミー地区町から北へ13kmのデュオン・リウ集落で、南ベナム軍を壊滅した。南ベトナム軍ARVNの犠牲は、333人の戦死者を伴った。VCは引き続き第2軍団の小さな駐屯地、集落、地区の町を攻撃した。

 1965年9月には、アメリカ軍第2海兵連隊第7大隊が、南ベトナムのビンディン省ヴィンクアン村で、ベトコンに対してフェナシルクロリド(CNガス)の毒ガスを使用した。VC26人と民間ベトナム人35人が死亡した。1965年10月にはアメリカ空軍が、ボンソン近郊のビンディン省の村デ・ドゥックを誤って攻撃し、民間ベトナム人48人が死亡した。