オーストリア軍兵士が、パプア・ニューギニア島のジャングルの中で、ココナッツの樹上に隠れていた狙撃兵の日本軍兵士を、銃撃した。射撃された日本軍の狙撃兵は、高度なココナッツの樹上から転落して戦死した。仰向けになった日本軍兵士の死体の側には、ココナッツの樹と狙撃銃や水筒などが散乱した。日本軍兵士の死因の多くは直接の戦闘ではなく、熱帯性の感染症と飢餓による栄養失調と餓死であった。熱帯の気候条件にあるため、穀物の畑作等の食料の生産には適さない。
第二次世界大戦中に、1942年7月21日から日本軍がパプア・ニューギニア島の北部海岸のブナ村を侵攻して、ブナ飛行場の基地を設置した。オーストラリア軍とアメリカ軍は、1943年1月2日に日本軍が全滅するブナ・ゴナの戦いで飛行場を奪還した。ニューギニア島は、世界で2番目に広大で起伏に富み赤道直下の島で、日本の約2倍に達する。オーストラリア軍は、1942年12月中旬からミル湾に上陸してアメリカ軍を支援した。12月18日からブナ飛行場に侵攻して12月23日に占領した。
ブナの戦いは、1942年11月19日から1943年1月2日まで、パプアの北海岸にある日本軍の海岸堡に対する連合軍の攻撃であった。海岸堡は、日本軍がココダ道を越えてポートモレスビーに陸上攻撃するために構築された。オーストラリア軍の反撃は日本軍をココダに沿って押し戻すために、ポートモレスビーから約48km以内で勃発した。
1942年7月と8月に、日本軍はニューギニアの北海岸のブナ近くに約11,000人もの戦闘の経験豊富な日本軍兵士を上陸させた。日本軍兵士はジャングルの中をねじり寄り、ブナから南西約160kmに達するオーストラリアの州都であるポートモレスビーにある飛行場を目指した。オーストラリア軍はかろうじて日本軍を撃退して、ブナと近隣の村に間隙を開けるために日本軍を撤退させた。アメリカ軍は、日本軍を敗退させるために、ポートモレスビーに上陸して、オーストラリア軍を支援した。その後、アメリカ軍兵士とオーストラリア軍兵士により、約2か月間も日本軍と激しい戦闘と甚大な犠牲を伴った。日本軍兵士は死ぬまで抵抗を止めず、そのために連合軍は多くの損害を出した。連合軍は、約2,300人が戦死して、約12,000人が戦傷した。日本軍は、約6,000人以上が戦死して、約1,200人が戦傷して、生存した捕虜は約200人であった。
戦争により、横たわり、苦しんでいる市⺠を静かに⾒守る事しかできない。迫りつつある戦争を⽬前にして、市⺠の地域と家族における生命の尊厳が失われている。 それぞれの生命が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは市⺠である。他⼈や部外者などから⾒れば、市⺠は微かな存在にすぎないであろう。それぞれの戦争の持つ悲惨な歴史を他⼈や部外者には、共感できない事にもよる。 世界⼤戦の戦争から原爆による終⽌符の犠牲で、市⺠は多くの⾟酸を受けた。戦争の経験による戦争市⺠に悲惨な戦争の記録を授けたい。戦争の荒波を渡る市⺠代弁者として、平和の羅針盤として、多くの平和市⺠の⼼に送りたい。いつの時代も、戦争の加害者と被害者にされるのは市⺠です。JNWNは閲覧と掲載も慎重に留意します(Ref:参照; Blogger:免責; SNS:勧告等)。思い出の戦争は戦争の真の抑⽌⼒となります。 ⽇本から地球に向けて、地球平和市⺠連盟は地球平和を探求します。Japan No War NGO 日本平和市民連盟 @JNWN, May/12/2016 Access 700,000 News 2,877 July/17/2024