2019年8月7日水曜日

長崎原子爆弾の爆心地近くの山里町で、母親とおんぶした子どもが、廃墟にしばらく爆心地付近に立ったまま動かなかった。(長崎)

長崎市の爆心地近くで、母親とおんぶした子どもが1945年8月30日に、廃墟でしばらく爆心地付近に立ったまま動かなかった。長崎市にいた親族を探すため、原爆が落とされた山里町に向かい、焼け焦げた山里町を歩き回った。長崎原子爆弾は、中央後方の立ち木の上空約500mで爆発した。せんだんの巨木は爆風と熱線のため、幹の一部はさけ折れて、枝葉はすべて焼失している。
 長崎原子爆弾は1945年8月9日午前11時2分に投下されて炸裂して大爆発した。爆心地付近の長崎市山里町では、全ての存在物が完全に崩壊と焼滅して、がれきの山となった。長崎原爆戦災誌(長崎市)によると、長崎市山里町は、爆心地である松山町171番地から約500mに位置した。原爆以前の山里町の世帯数は約850戸、人口は約4千人と推定された。原爆で建物は全壊と全焼して、屋外の被爆者は全滅して、生存者は1人も確認されない。少なくとも約1,500人が死亡した。1964年の町名変更で、山里町は現在の平和町と平野町に含まれる。


横浜市立大島中学校の中学生が、2014年5月27日に長崎原子爆弾の被爆者が、原爆や戦争の悲惨さを語り継ぐ「長崎の証言の会」の語り部の9名が、長崎市平和公園で学習会に参加した。語り部の森口貢さんが聴く態度が不良な中学生らを注意すると、グループ学習から離脱した。爆心地から北に約700mの山里小学校にいた生徒に語り部をした時に、不良な5人の中学生がグループ学習にいた森口貢さんに向けて、「死に損ないのくそじじい」と暴言を吐いた。生徒らは、暴言の問題を認識もできず、被爆者を傷つける行為にも気づけなかった。