2019年8月4日日曜日

日本海軍兵士が、沈没した巡視艇の残骸に抱きついて疲れ切って太平洋戦争でエリス諸島周辺を漂流した。

エリス諸島に巡航していた2隻の日本巡視艇が撃沈された。日本海軍兵士が、沈没した巡視艇の残骸に抱きついて疲れ切って太平洋のエリス諸島周辺を漂流した。頭だけ海上で身体は水中にて生死の分かれ目となる長時間にわたり漂流した。アメリカ軍の水上機に偵察されて、駆逐艦により引き上げられた。アメリカ軍は、2隻の日本巡視艇から拿捕されたのは、その他に約15人のみであった。太平洋戦争において、アメリカ軍は1942年10月2日に、日本軍が占領していたエリス諸島を構成するフナフティ島に上陸した。アメリカ軍は1943年11月20日から勃発するギルバート諸島のタラワとマキンの戦いの前線基地としてフナフティ島を整備した。
 第2次世界大戦下で、日本軍兵士にとり捕虜になることは最も恥辱であり、不名誉な生存となる。「生きて虜囚になるなかれ」の戦陣訓が潜在していた。捕虜に陥る前に、自決するように至上命令されていた。捕虜になれば、拷問を受けて処刑されると洗脳されていた。捕虜になり生存しても、日本への不名誉な帰国は絶望となった。捕虜になれば、自分だけでなく、家族から関係者まで迫害をうけた。日本軍兵士の自決率は最も高く、投降率は最低であった。日本軍兵士の捕虜数の公式資料はないが、太平洋戦争の終戦時の捕虜数は約51,193人と推察された。特に日本軍兵士の捕虜数は、フィリピンの戦いで約12,573人、沖縄戦で約10,000人と突出していた。太平洋戦争の戦況が最悪になるに従い、敵前逃亡者や戦傷者から漂流者などの自発的な捕虜が増大した。