2019年7月18日木曜日

太平洋戦争のニューギニアのギルワの戦いで、ジャングル内の塹壕の入口で、連合国軍が殺害した日本軍兵士の死体が散乱した。

太平洋戦争におけるニューギニアの最終となるギルワの戦いで、ジャングル内に備えた塹壕の入口で、連合国軍により殺害された日本軍兵士の死体が散乱した。ニューギニアは、日本の真南の約5000kmの赤道直下にあり面積は2倍で、ジャングルに覆われて、中央に約4,000mの山脈が連なった。1942年3月から悲惨な残酷な戦闘が勃発していた。日本軍兵士は、近隣のラバウル基地の防衛のために、日本軍兵士の約15,000人が北東のバザブアに上陸した。支離滅裂な大本営の命令により、日本軍兵士は8月から連合国の南東のポートモレスビー基地に向けて侵攻させられた。急峻なオーエン・スタンレー山脈を越えられても、連合軍の封鎖により補給が途絶えて9月から悲惨な撤退をした。再び山脈を越える退却の途上で、栄養失調による飢餓と伝染病などで到るところで餓死に陥った。
 日本軍の基地であったブナ地区のバサブア、ブナとギルワの拠点に残存兵が帰還した。約10倍もの連合国軍のブナ地区に対する11月からの猛攻撃により、最初にバサブアが12月8日に壊滅した。次いで、ブナが1943年1月2日に壊滅した。最終的に残存したギルワの日本軍が、連合国軍の総攻撃により1月17日に全滅した。ニューギニアを脱出した約1,000人を除いて、ニューギニア各地のジャグルの中に日本軍兵士の死体が散乱した。1943年2月9日に、大本営は「ブナ付近に挺進せる部隊は寡兵克く敵の執拗なる反撃を撃攘しつつありしがその任務を修了せしにより、一月下旬陣地を撤し他に転進せしめられたり」と、ブナ地区の日本軍守備隊は全滅して虚偽の公表をした。