2019年3月24日日曜日

ワルシャワ・ゲトーで蜂起したユダヤ人の抵抗者の死体が、ナチス親衛隊によって破壊された建物の廃墟の前に散乱した。

ナチス・ドイツ軍に対するユダヤ人の抵抗者の死体が、ワルシャワ・ゲットー蜂起の抑圧する親衛隊によって破壊された建物の廃墟の前に散乱した。ドイツ軍は「無法者が戦闘で殺害された」と記録した。
 ナチス親衛隊と警察部隊が、1943年4月19日にワルシャワゲトーに生き残ったユダヤ人を移送するためにゲットーに侵入した直後に、ワルシャワのゲットー蜂起が始まった。ゲットーのユダヤ人ほとんど全員が隠れ家や地下壕に身を潜めた。強制移送の再開が、ゲットーの武装蜂起の合図であった。1943年5月16日までにドイツ軍はユダヤ人の反乱を武力で粉砕した。生き残ったゲットーのユダヤ人は強制収容所や絶滅収容所に移送されて虐殺された。
 蜂起して3日目から、ナチス親衛隊と警察部隊は、ゲットーの徹底捜索をして、建物をひとつひとつ破壊して隠れているユダヤ人を地上に叩き出した。ユダヤ人戦闘員も要塞から反抗するも、ドイツ軍の組織的な攻撃でゲットーは崩壊した。その後は小さなグループおよび個人戦闘員が、身を潜めて約1か月近くも抵抗した。個人になったユダヤ人はゲットーの廃墟に隠れ、ドイツ軍や補助部隊のパトロールに攻撃を続けた。ワルシャワゲットーの蜂起は最大規模であり、最大なユダヤ人の蜂起であった。ドイツ占領下のヨーロッパで最初に起きた都市の武力蜂起であった。