2019年3月22日金曜日

ニューギニアの戦いで補給が絶えて飢餓と風土病に苦闘して撤退した日本軍兵士の膨大な死体が、山林や山道に散乱していた。

ニューギニアの戦いに、アメリカ軍とオーストリア軍の連合軍が侵攻して、補給が絶えて飢餓と風土病に苦闘して撤退した日本軍兵士の膨大な死体が、山林や山道に散乱していた。
太平洋戦争で、1942年3月に日本軍はニューギニアの北東海岸のサラモアとラエに上陸した。ニューギニアの東半分はオーストラリア領であった。連合軍の最終防衛拠点がある南東部のポートモスレビーの攻略は、日本軍は海岸からの上陸は困難となり放棄した。北東海岸からポートモレスビーを攻略するために、日本軍兵士には約4,000mのオーウェンスタンレー山脈を越える無理な行軍を強要された。片道分だけの食料と物資を背負って残酷な登山を強いられた。オーウェンスタンレー山脈を越えた時点で、食糧が尽きて飢餓と風土病で壊滅状態となった。
 ポートモレスビーから、連合軍による猛烈な攻撃を受けて、日本軍は撤退して追撃された。1942年10月17日には食糧が完全に枯渇して、木の根や草を食いながら悲惨な後退をした。大本営はガダルカナル島を優先して、ニューギニアを無視した。連合軍は、1943年1月に圧倒的な武力で北東海岸の拠点を攻略して、日本軍は壊滅した。ニュギニアから日本軍の艦艇や輸送船が、連合軍の爆撃機により次々に沈没して、膨大な人命や物資を喪失した。日本軍兵士は約180,000人が戦死して、わずか10%の約20,000人のみが生還した。連合軍の戦死者もオーストラリア軍は約8,000名、アメリカ軍は約4,000名に上った。