レバノンのサブラとシャティーラの難民キャンプの路地が、悲惨なパレスチナ人の死体置き場となった。異臭がする腐敗して肉親の死体を親族が探索した。
イスラエルがレバノンに侵攻して、次期に当選させたレバノン大統領のバシール・ジェマイエルが1982年9月14日に爆殺された。マロン派キリスト教のファランジスト党首の爆殺に対する報復により、9月16日午後6時から9月18日夜明けまで、党員とイスラエル国防軍がサブラとシャティーラの2つの難民キャンプで大量虐殺をした。約3,000人ものパレスチナ人難民が虐殺された。1948年から生活の場である難民キャンプの路地に多数のパレスチナ人の死体が散乱した。