長崎原子爆弾が1945年8月9日午前11時2分頃に、ボックスカーと呼称されたB-29爆撃機投下されて炸裂した。その爆心地から南に約1kmにおいて、翌日の1945年8月10日お昼頃に、人影はまばらでも、母親と娘は肉親を探しに来ていた。爆心地から1km足らずで、近距離の周辺である長崎市岩川町の県道付近にて、一面が焼け野原となり全ての木造の家は焼失した。あまりにも悲惨な被爆状況に、母と娘は言いようのない失望で胸が一杯に成り、涙を流して慟哭した。岩川町から長崎市中心部は、家が倒壊して道路が通れなくなった。道沿いには、被爆者や馬が生きてるままの格好で真白の白骨の灰になった。