2018年9月4日火曜日

第1次世界大戦のカポレット戦いでイゾンツォ周辺の塹壕の中に、多数のイタリア軍兵士の死体が散在した。

第1次世界大戦におけるカポレット戦いにて、1917年10月26日にイゾンツォ周辺の塹壕の中に、多数のイタリア軍兵士の死体が散在した。
 第1次世界大戦にて、カポレットの戦いは、イタリア軍に対して、1917年10月24日から11月9日に、オーストリア=ハンガリー帝国軍と援軍のドイツ帝国軍がカポレットで戦闘した。オーストリア=ハンガリー軍は1917年時点ですでに死傷者・捕虜で約150万人も達して疲弊していた。1917年10月24日からドイツ軍の援軍がイゾンツォ川で攻勢して、イタリア軍を砲撃と毒ガスさらに手榴弾と火炎放射器で錯乱した。イタリア軍は、撤退しなければ全軍が壊滅する事態となり、戦線の至る所が突破され無数のイタリア兵士が殲滅されて、10月30日にイタリア軍には敗退が命じられた。カポレットの戦いで、ドイツ軍とオーストリア=ハンガリー軍は約2万人の死傷者を出し、イタリア軍は約3万1000人の死傷者と撤退に遅れた約275,000人が捕虜となった。イタリア軍が被った被害は甚大であり、人的損失のみならず大砲、機関銃、迫撃砲も多くを失った。援軍したイギリス軍とフランス軍により、後方のピアーヴェ川で、西部戦線同様に同盟軍の進撃を留めた。4日間にわたる抵抗を退けて、ヴィラ・ジュステ休戦協定を締結してオーストリア=ハンガリー軍は撤退した。
 第1次世界大戦が始まった当初イタリアはドイツ・オーストリアと三国同盟を結んだ。イタリアは、オーストリアに「未回収のイタリア」の割譲を求めていた。その交渉が成立せず、中立の立場を取った。イギリスとフランスは第1次世界大戦後に「未回収のイタリア」の割譲を条件と、イギリスから5000万ポンドの借款も供与され、1915年4月26日にイタリアは三国同盟を破棄し、連合国側に加盟するロンドン条約を締結していた。