アメリカに追従していたパフレヴィー朝が1979年1月のイラン革命で倒れた。シーア派ホメイニのイスラム原理主義のイラン=イスラム共和国が1972年2月に成立した。ファギーフ(イスラム法学者)による統治を掲げ、アメリカ文化を否定して厳格なイスラームの規範を復活させた。宗教色の強い、イスラム原理主義の政治が展開された。裁判ではシャリーア(イスラム法)が適用された。イランのテヘランの裁判により、1979年2月に最初の4人の将官に対して死刑が執行されて、死体が置き場に集積された。
1979年11月14日にはイラン人学生らによるテヘランのアメリカ大使館占拠事件が起き、1981年1月20日まで占拠された。メジャーズ(国際石油資本)が撤退して、イランが石油国有化に踏み切り石油輸出を制限して、石油の国際価格が急上昇し、第2次石油危機をもたらした。