第2次世界大戦のソ連軍の東部戦線にて、イタリア軍は膨大な戦死者の遺体を豪雪の中に遺棄と放置してドン河から撤退した。
第2次世界大戦にて、ソ連軍によるドン河流域における第3次攻撃を1943年1月から受けて、イタリア第8軍の山岳軍団はドン河流域から数日内に崩壊した。当初は10万人の兵力を擁していたイタリア第8軍は、約1か月間の戦闘で約8万5000人の将兵を戦死または行方不明として失った。東部戦線のドン河流域から離脱して、イタリア軍は戦死者の遺体を豪雪の中に遺棄と放置しながら撤退した。イタリアの補充兵など含めた約3万人が凍傷などで戦線から撤退した。豪雪により、ソ連軍の攻勢はさらに勢いづき、ソ連軍により包囲されたドイツ軍は重装備を放棄しながら西方に脱出した。ドイツ軍が1942年6月から占領したロシア南部地域の大部分を3月間にソ連軍の攻勢で失った。