摩文仁の沖縄戦で、多くの沖縄少女学徒が砲弾で絶命し、残存したひめゆり部隊は断崖に追い込まれ自決した。
沖縄では、中学校学徒の動員による軍隊編成は1944年12月から実施された。男子生徒には戦闘に、女子生徒は看護で軍隊に所属した。1945年3月24日から男子は「鉄血勤皇隊」に、女子は学徒看護婦に配属された。県立第一高等女学校200名と師範学校女子部122名は共同従軍して、最期の摩文仁にて6月20日にアメリカ軍のガス弾で、多くの少女らは家族を叫びながら絶命した。残存した少女の班は脱出の時に砲弾で虐殺され、断崖に追い込まれ捕虜を拒絶して自決した。各部隊は86名、122名が若き犠牲の死体となり、校友会誌「しらゆり」「おとひめ」から「ひめゆり部隊」と呼称された。