Japan No War NGO (JNWN) 日本平和市民連盟

戦争により、横たわり、苦しんでいる市⺠を静かに⾒守る事しかできない。迫りつつある戦争を⽬前にして、市⺠の地域と家族における生命の尊厳が失われている。 それぞれの生命が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは市⺠である。他⼈や部外者などから⾒れば、市⺠は微かな存在にすぎないであろう。それぞれの戦争の持つ悲惨な歴史を他⼈や部外者には、共感できない事にもよる。 世界⼤戦の戦争から原爆による終⽌符の犠牲で、市⺠は多くの⾟酸を受けた。戦争の経験による戦争市⺠に悲惨な戦争の記録を授けたい。戦争の荒波を渡る市⺠代弁者として、平和の羅針盤として、多くの平和市⺠の⼼に送りたい。いつの時代も、戦争の加害者と被害者にされるのは市⺠です。JNWNは閲覧と掲載も慎重に留意します(Ref:参照; Blogger:免責; SNS:勧告等)。思い出の戦争は戦争の真の抑⽌⼒となります。 ⽇本から地球に向けて、地球平和市⺠連盟は地球平和を探求します。Japan No War NGO 日本平和市民連盟 @JNWN, May/12/2016 Access 700,000 News 2,877 July/17/2024

2025年3月31日月曜日

1937年6月9日に、カルロ・ロッセリ(上)とその弟ネッロ(下)は、イタリアのファシストの命令により、フランスの極右運動「ラ・カグール」によって、フランスのノルマンディの田舎道で殺害された。

›
1937年6月9日に、カルロ・ロッセリとその弟ネッロは、イタリアのファシストの命令により、フランスの極右運動「ラ・カグール」によって、フランスのノルマンディの田舎道で殺害された。陰謀が発覚する前、フィリオルとマーティン医師に率いられたカグール党の暴漢たちは、気に入らない相手を喜ん...
2025年3月30日日曜日

原爆被爆者の医療記録:T. ミヤケ、広島に投下された原子爆弾によるケロイドが背中と腕に見られる。

›
              非公開の日本原爆被爆者の写真 ーアメリカ軍原爆調査団ー アメリカ国立公文書館 2024年2月23日 (The National Archives College Park, Maryland)  SC-295904 SC-295904 (FEG-47-...
2025年3月29日土曜日

2025年2月1日に、ウクライナ中部の都市ポルタヴァの住宅ビルに対するロシア軍のミサイル攻撃で、ウクライナ救助隊員は、夜通し22人を瓦礫の中から救出して、死体を担架で運び出した。

›
2025年2月1日に、ウクライナ中部の都市ポルタヴァの住宅ビルに対するロシア軍のミサイル攻撃の現場で、ウクライナの救助隊が別の死体を発見した。救急隊員は、夜通し22人を瓦礫の中から救出して、死体担架で運び出した。消防士と数十人の救助隊が瓦礫の中を捜索し、担架で死者を運び出した。 ...
2025年3月28日金曜日

太平洋戦争の硫黄島の戦いにて、日本軍兵士は1945年3月26日早朝に、斬り込み突撃により、西集落南方のアメリカ軍の天幕陣地を奇襲した。日本軍は玉砕して全滅して、遺棄された死体は196人にのぼった。

›
太平洋戦争の硫黄島の戦いにて、アメリカ軍は戦車や火炎放射器などで、洞窟陣地にひそむ日本軍兵士を掃討した。アメリカ軍の目前に追いつめられた日本軍兵士は1945年3月26日早朝に、日本軍兵士の斬り込みバンザイ突撃により、西集落南方のアメリカ軍海兵隊・陸軍航空隊の天幕陣地を奇襲した。そ...
2025年3月27日木曜日

第二次世界大戦末期の西部戦線にて、ドイツ西部のコブレンツの付近を流れるライン川にて、1945年4月20日にアメリカ軍兵士の死体が発見された。アメリカ軍の第209野戦砲兵大体の兵士らが、舟艇で死体を収容した。

›
第二次世界大戦末期の西部戦線にて、ドイツ西部のコブレンツの付近を流れるライン川において、1945年4月20日にアメリカ軍兵士の死体が発見された。アメリカ軍の第209野戦砲兵大体の兵士らが、舟艇で死体を収容した。コブレンツはドイツの都市で、ライン川中流域とモーゼル川の支流にある。第...
2025年3月26日水曜日

太平洋戦争のガダルカナルの戦いにて、日本軍の塹壕の中に、日本軍兵士の死体が風雨にさらされた。丘の中腹の日本軍の塹壕は、丸太と土にて構築されていた。

›
太平洋戦争のガダルカナルの戦いにて、日本軍の塹壕の中に、日本軍兵士の死体が風雨にさらされた。ガダルカナル島の丘の中腹で発見された日本軍の塹壕は、丸太と土にて構築されていた。  アメリカ軍は1942年8月7日にガダルカナルに上陸して、日本軍が建設中であったヘンダーソン飛行場を占領し...
2025年3月25日火曜日

1940年8月13日に、ポーランドのワルソー近くのウルシナでドイツ軍は、ポーランド人を銃殺した。犠牲者は、殴り倒され、目隠しされ、口に石膏を詰められた。約2メートルの短距離から小銃殺隊の一斉射撃で銃殺された。

›
1940年8月13日に、ポーランドのワルソー近くのウルシナでドイツ軍は、ポーランド人を銃殺した。犠牲者は、殴り倒されてから、目隠しされて、口には石膏を詰められた。約2メートルの短距離から小銃殺隊の一斉射撃で銃殺された。犠牲者の死体は、検死されて、野原の窪みに集積された。  ヤヌフ...
2025年3月24日月曜日

レニングラードは、1941年6月22日から1944年1月27日までドイツ軍に872日間包囲された。飢えが街を荒廃させて、人々は路上で倒れ、命を落とした死体が散乱した。

›
1941年6月22日からドイツ軍はソ連に侵攻するバルバロッサ作戦を開始した。ドイツ国防軍の進撃で、9月8日にレニングラードの城門に到達し、1944年1月27日まで872日間包囲した。飢えが街を荒廃させて、人々は路上で倒れ、命を落とした死体が散乱した。死体はヴォルホフ墓地の集団墓地...
2025年3月23日日曜日

アメリカ軍第10軍団の外科医ジョン・R・ホール大佐が、1946年1月26日に極東諮問委員会のメンバーに、顔に火傷を負った女性に対する原子爆弾の影響を説明する。

›
            非公開の日本原爆被爆者の写真 ーアメリカ軍原爆調査団ー アメリカ国立公文書館 2024年2月23日 (The National Archives College Park, Maryland)  SC-241243 SC-241243 Col. John ...
2025年3月22日土曜日

2025年3月18日に、パレスチナのガザ地区のカーン・ユーニスにある病院の死体安置所で、肉親がイスラエル軍の空爆後に死亡した子供の遺体を悲嘆しながら抱えた。

›
2025年3月18日に、パレスチナのガザ地区のカーン・ユーニスにある病院の死体安置所で、肉親がイスラエル軍の空爆後に死亡した子供の遺体を悲嘆しながら抱えた。南部の都市カン・ユーニスでは、爆発と煙の噴出に包まれた。救急車が死傷者をナセル病院に運び、患者が床に横たわり、悲鳴を上げた。...
2025年3月21日金曜日

第二次世界大戦の西部戦線にて、ドイツ中部のニュールンベルグに、アメリカ軍は1945年4月16日に突入した。4月20日に終結したニュールンベルグの戦場には、殺害されたドイツ軍兵士の死体が累々と横たわっていた。

›
第二次世界大戦の西部戦線にて、ナチス・ドイツの発祥の地であるドイツ中部のニュールンベルグに、アメリカ軍は1945年4月16日に突入した。ニュールンベルグ市内で、アメリカ軍とドイツ軍は白兵戦が勃発した。4月20日に終結したニュールンベルグの戦場には、殺害されたドイツ軍兵士の死体が累...
2025年3月20日木曜日

太平洋戦争のアッツ島の戦いでは、虐殺湾と呼称される地点で、1943年5月30日に日本軍が食料を求めて最後のバンザイ突撃を敢行した。アメリカ軍兵士は、6月1日にアッツ島に散乱した日本軍兵士の死体を検死した。

›
太平洋戦争のアッツ島の戦いでは、虐殺湾と呼称される地点で、1943年5月30日に日本軍が食料を求めて最後のバンザイ突撃を敢行した。ある日本軍兵士は、アメリカ軍の砲塔を奪い、あるいは食料を奪った。最後には、アメリカ軍に追い詰められて、アッツ島の日本軍兵士は、殺害あるいは自殺した。ア...
2025年3月19日水曜日

ドイツ軍は1940年9月7日から1941年5月10日までイギリス全土に大規模な空襲で攻撃した。イギリスの救助隊は、瓦礫の中に一緒に閉じ込められて、埋められて手のみ突き出たイギリス市民の死体と負傷者などを掘り起こした。

›
第二次世界大戦にてドイツ軍による都市急襲爆撃であるブリッツにより、1940年9月7日から1941年5月10日までイギリス全土に大規模な空襲で攻撃した。イギリスの救助隊は、瓦礫の中に一緒に閉じ込められて、埋められて手のみ突き出たイギリス市民の死体と負傷者などを掘り起こした。ドイツ軍...
2025年3月18日火曜日

ウクライナのハリコフの路上で、飢餓による犠牲者たちの死体が散乱した。ウクライナは特に1932年から1933年に、ソ連による人為的な飢餓による虐殺であるホロドモールにより、数百万人の犠牲者が発生した。

›
ウクライナのハリコフの路上で、飢餓による犠牲者たちの死体が散乱した。ウクライナは特に1932年から1933年に、ソ連による人為的な飢餓による虐殺であるホロドモールにより、数百万人の犠牲者が発生した。不作や自然災害のためだけでなく、ソ連のヨシフ・スターリンにより人為的にウクライナ人...
2025年3月17日月曜日

第二次世界大戦の東部戦線にて、ドイツ占領下のポーランドのゴウビンの教会の壁で、1941年6月15日に10人のポーランド人住民が公開処刑で射殺された。

›
第二次世界大戦の東部戦線にて、ドイツ占領下のポーランドのゴウビンの教会の壁で、1941年6月15日に10人のポーランド人住民が公開処刑で射殺された。ゴウビンの住民は公開処刑を見物するために強制的に市場広場に集められた。  1939年9月1日から第二次世界大戦の発端となったポーラン...
‹
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示
Powered by Blogger.