Japan No War NGO (JNWN) 日本平和市民連盟

戦争により、横たわり、苦しんでいる市⺠を静かに⾒守る事しかできない。迫りつつある戦争を⽬前にして、市⺠の地域と家族における生命の尊厳が失われている。 それぞれの生命が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは市⺠である。他⼈や部外者などから⾒れば、市⺠は微かな存在にすぎないであろう。それぞれの戦争の持つ悲惨な歴史を他⼈や部外者には、共感できない事にもよる。 世界⼤戦の戦争から原爆による終⽌符の犠牲で、市⺠は多くの⾟酸を受けた。戦争の経験による戦争市⺠に悲惨な戦争の記録を授けたい。戦争の荒波を渡る市⺠代弁者として、平和の羅針盤として、多くの平和市⺠の⼼に送りたい。いつの時代も、戦争の加害者と被害者にされるのは市⺠です。JNWNは閲覧と掲載も慎重に留意します(Ref:参照; Blogger:免責; SNS:勧告等)。思い出の戦争は戦争の真の抑⽌⼒となります。 ⽇本から地球に向けて、地球平和市⺠連盟は地球平和を探求します。Japan No War NGO 日本平和市民連盟 @JNWN, May/12/2016 Access 700,000 News 2,877 July/17/2024

2024年12月31日火曜日

サイパンの戦いで、1944年6月23日に戦傷して重態の日本軍兵士にアメリカ軍が応急手当てをした。その後に担架上に、日本軍兵士を仰向けに寝かせるも、手遅れとなり戦死した。

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サイパンの戦いで、1944年6月23日に戦傷して重態の日本軍兵士にアメリカ軍が応急手当てをした。その後に担架上に、日本軍兵士を仰向けに寝かせるも、手遅れとなり戦死した。その隣には、戦死した日本軍兵士の死体が、サイパン西海岸の路上に散乱した。  1944年6月15日からアメリカ軍が...
2024年12月30日月曜日

第二次世界大戦末期の1945年4月28日に北イタリアのコモ湖畔ドンゴで、15人のファシスト幹部が、リッカルドが指揮した12人のパルチザンの銃殺隊により射殺された。

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第二次世界大戦末期の1945年4月28日に北イタリアのコモ湖畔ドンゴで、15人のファシスト幹部が、戦闘名と呼称したリッカルドが指揮したパルチザンの銃殺隊により射殺された。4月27日朝に、ヴァルテッリーナに向かって逃走するファシスト階層の隊列が、ドンゴのパルチザンによって拉致された...
2024年12月29日日曜日

2024年11月21日に、パレスチナのガザ地区のカン・ユーニスで、父親のマフムード・ビン・ハッサンは、葬儀を前に長子2人と女子1人の子どもたちの死体を悼んだ。

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2024年11月21日に、パレスチナのガザ地区のカン・ユーニスで、父親のマフムード・ビン・ハッサンは、葬儀を前に3人の子どもたちの死体を悼んだ。11月21日に、パレスチナのガザ地区のカーン・ユーニスで、男性が埋葬のために運ばれる3人の子供の遺体にキスをした。7歳のハムザ、5歳の弟...
2024年12月28日土曜日

広島原子爆弾の投下による被爆で、広島郵便局で被爆した山口明さんは両方の前腕に火傷のケロイド後遺症が1947年4月8日に残った。

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  非公開の日本原爆被爆者の写真 ーアメリカ軍原爆調査団ー アメリカ国立公文書館 2024年2月23日 (The National Archives College Park, Maryland)  SC-298047 SC-298047 14819 X(FEO-47-73152...
2024年12月27日金曜日

サイパンの戦いにて、アメリカ軍が破傷風に罹患して重態の日本軍兵士を、空母サージェント・ベイ上で、1944年7月28日に破傷風の治療を受けた。まもなく破傷風菌の感染症で病死して、死体が太平洋に葬られた。

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第二次世界大戦の太平洋戦争のサイパンの戦いにて、アメリカ軍が破傷風に罹患して重態の日本軍兵士を捕虜にした。空母サージェント・ベイ上で、1944年7月28日に捕虜の日本軍兵士は、破傷風の治療を受けた。まもなく破傷風菌の感染症で病死して、死体が太平洋に葬られた。破傷風菌に感染して3日...
2024年12月26日木曜日

第一次世界大戦の西部戦線にて、イギリス軍が1916年7月のベルギーとの国境近郊のフランスのフロメルの戦いで、ドイツ軍に殺害されて戦死したイギリス軍兵士の死体が塹壕の中に散乱した。

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第一次世界大戦の西部戦線にて、イギリス軍が1916年7月のベルギーとの国境近郊のフランスのフロメルの戦いで、ドイツ軍に殺害されて戦死したイギリス軍兵士の死体が塹壕の中に散乱した。1916年7月19日のフロメル攻撃は、イギリス軍とオーストラリア軍が西部戦線で戦った大規模な残酷な戦闘...
2024年12月25日水曜日

太平洋戦争の硫黄島の戦いにて、日本軍兵士が火山地形上の斜面で1945年2月にうつ伏せになって、自分の胸部に当てた自分の手榴弾を炸裂させて自殺した。

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太平洋戦争の硫黄島の戦いにて、日本軍兵士が火山地形上の斜面で1945年2月にうつ伏せになって、自分の胸部に当てた自分の手榴弾を炸裂させて自殺した。日本軍兵士はアメリカ軍に追い詰められて、殺害されるのも降伏するのも拒否して自殺した。1945年に、アメリカ軍は中部太平洋まで侵攻して、...
2024年12月24日火曜日

第二次世界大戦にて1941年4月にシリアで戦闘が勃発した。シリアのサイダ近郊で死亡したヴィシー軍のセネガル兵の死体が散乱した。

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第二次世界大戦にて1941年4月にシリアで戦闘が勃発した。シリアのサイダ近郊で死亡したヴィシー軍のセネガル兵の死体が散乱した。1941年10月に、フランソワ・ダルラン提督は、シリアでの功績を称え、デンツ将軍にレジオン・ドヌール勲章を授与した。  1941年4月3日に、イラクにて民...
2024年12月23日月曜日

ナチス・ドイツの国民啓蒙・宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッペルスの長女ヘルガ・ゲッベルスの死体は、兄弟と地下壕で1945年5月2日に発見されて、ソ連の専門家による病理解剖され、青酸カリで毒殺されたと結論づけた。

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第二次世界大戦終末期に、ナチス・ドイツの国民啓蒙・宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッペルスとマグダ・ゲッペルス夫妻の長女ヘルガ・ゲッベルスの死体は、兄弟とともに地下壕で1945年5月2日に発見されて、ソ連の専門家による病理解剖されて、青酸カリで毒殺されたと結論づけた。  ゲッペルス一家の死体...
2024年12月22日日曜日

広島赤十字病院で広島原子爆弾に被爆したキクイワ・キヨシは、手首にできた瘢痕拘縮の修復の潰瘍化した傷跡がある。

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  非公開の日本原爆被爆者の写真 ーアメリカ軍原爆調査団ー アメリカ国立公文書館 2024年2月23日 (The National Archives College Park, Maryland)  SC- 298045 SC-298045 HIROSHIMA ATOMIC BO...
2024年12月21日土曜日

ウクライナ軍のクルスク地方の攻撃で、北朝鮮軍は2024年12月14日から12月15日に大きな損害を被り、約30人の兵士が死傷し、雪野原に北朝鮮兵士の死体が横たわった。

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ウクライナ軍のクルスク地方の攻撃で、北朝鮮軍は大損害を伴って、補充が必要となった。ウクライナ情報筋によると、北朝鮮軍の部隊は2024年12月14日から12月15日にかけて大きな損害を被り、少なくとも30人の兵士が死傷した。北朝鮮軍兵士は複数の部隊のFPVドローンの連携攻撃によって...
2024年12月20日金曜日

第一次世界大戦の東部戦線にて、ウクライナのテルノピルで1917年7月1日に、ライフルと銃剣を構えたロシア軍兵士が、ロシア軍から脱走する士気が低下した二人のロシア軍兵士を、元の戦場に戻るように脅迫した。

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第一次世界大戦の東部戦線にて、ウクライナのテルノピルで1917年7月1日に、ライフルと銃剣を構えたロシア軍兵士が、ロシア軍から脱走する士気が低下した二人のロシア軍兵士を、元の戦場に戻るように脅迫した。 脱走とは、戦闘行為への参加や戦争への参加を避けるために、行軍中や場所にて軍部隊...
2024年12月19日木曜日

第一次世界大戦の西部戦線で、フランス北部のポジエールの戦いで、オーストラリア軍による砲撃により、直撃弾によりドイツ軍陣地が破壊されて、ドイツ軍砲兵が戦死した。

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第一次世界大戦の西部戦線で、フランス北部のポジエールの戦いで、オーストラリア軍による砲撃により、直撃弾によりドイツ軍陣地が破壊されて、ドイツ軍砲兵が戦死した。1916年7月23日~9月3日にポジエールの戦いが勃発した。フランス北部のポジエール村周辺で、ソンムの戦いの間に起こった。...
2024年12月18日水曜日

第二次世界大戦の東部戦線にて、ルーマニア人のブカレスト市民が、1944年8月末のドイツ軍による空襲の後に、死んだ親族の死体を認識して検死した。

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第二次世界大戦の東部戦線にて、ルーマニア人のブカレスト市民が、1944年8月末のドイツ軍による空襲の後に、死んだ親族の死体を認識して検死した。1944年8月23日から26日にかけて、ルーマニアが枢軸国を寝返った報復としてドイツ軍の爆撃機が首都ブカレストを連日に空襲した。  ルーマ...
2024年12月17日火曜日

アメリカ軍のオカラハン従軍牧師は、1945年3月19日の日本軍爆撃機の攻撃後の爆発で負傷しながらも、むき出しになり斜めの飛行甲板を動き回り、死にゆく人々に最後の儀式を施した。

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アメリカ軍のオカラハン従軍牧師は、1945年3月19日の日本軍爆撃機の攻撃後の爆発で負傷しながらも、むき出しになり斜めの飛行甲板を動き回り、死にゆく人々に最後の儀式を施した。 アメリカ海軍の従軍牧師であるジョセフ・オカラハン中佐は、手袋をはめた手を合わせて、甲板上で爆発したアメリ...
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